2月1日 キリストの麗しい愛に満たされる

あなたのために私はいたく悲しむ。私の兄弟ヨナタンよ。あなたは私を大いに喜び楽しませ、あなたの愛は、私にとって女の愛にもまさって、すばらしかった。《サムエル記 第二 一・26》

ヨナタンは、ダビデを自分自身のように愛した。そのヨナタンがペリシテとの戦いで討ち死にした後、ダビデは哀歌を唱えて言った。「あなたの愛は、私にとって女の愛にもまさって、すばらしかった。

親愛なる読者の皆さん。私たち一人ひとりは、ヨナタンの愛ではなく、イエスご自身の素晴らしい愛を語ろうではないか。人から伝え聞いたことではなく、キリストの愛について自分が味わったこと、キリストが私を扱ってくださった愛を語ろう。

主イエスさま。私が未だあなたから遠く離れてさまよい、肉と心の望むままを行っていた時、あなたの私に対する愛は、何ものにも優ってすばらしいものでした。あなたの愛により、私は死に至る罪を犯すことがなく、滅びることから守られました。神の正義により、「切り倒してしまいなさい。何のために土地まで無駄にしているのか《マタイ十三・7》」という宣言が語られた時、あなたの愛はその「斧」を押しとどめてくださいました。あなたの愛により、私は荒野に導き入れられました。そこで愛の主は、私が裸であること教えてくださいました。そして私は、あなたの愛により、自らの罪と咎が余りにも大きく、その罪責感に押しつぶされそうになりました。私は、ひどくうろたえました。その時、愛の主は「わたしのもとに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます《マタイ十一・28》」と、慰めのことばをかけてくださいました。

主イエスさま。あなたは、私が悔い改め、信じた瞬間に、私の罪を洗い清めてくださいました。私が母の胎から生まれ落ちた日、私は布で包まれることなく、自分の血の中で真っ赤に染まっていました。それと同じように、私の魂はけがれに満ちていました。また、ほこりのような私の咎によって、私の魂は真っ黒でした。それほど、私の魂はけがれに満ちていました。しかし愛の主は、そのようにけがれに満ちた私の魂を、降り積もる雪のように白く、最上の羊毛のように純潔にしてくださいました。あなたの愛は、他のいかなるものとも比べ難いのでしょう。あなたが私の耳もとで「わたしはあなたのもの、あなたはわたしのもの」とささやかれた時、どれほどあなたは愛を示されたことでしょう。あなたが「父ご自身があなたを愛しておられる」と言われた時、その御声は優しさであふれていました。あなたが私に「御霊の愛」を語られた時、それは実に麗しい時でした。その時は麗しさにあふれていました。あなたが私にご自身を啓示された時の、あの交わりの部屋を私は決して忘れることは出来ません。

モーセは岩の裂け目にあって、神の後ろ姿を見たではないか。私たちにもまた、岩の裂け目がある。そこで、キリストの御顔にある神の栄光の輝きの全てを見た。ダビデは、高い山は野ヤギの隠れ場だと歌った(詩篇 百四・18)。彼はまた、ヨルダンとヘルモンの地から、主を思い出したではないか(詩篇 四十二・6)。私たちにもまた、ダビデが歌ったこれらの祝福に満ちた場所に勝るとも劣らないほどの、主との麗しい交わりを持った思い出の場所がある。

尊い主イエスさま。あなたの驚くばかりの愛という新鮮な飲み物を私に与え、私にこの月を始めさせてください。アーメン

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