1月7日 主の花嫁なる教会

私の妹、花嫁は……。《雅歌 四・12》

この聖句で、ソロモンは自分の花嫁に向かい、何と麗しいことばをもって呼んでいることだろうか。同じように、花嫁なる教会に対して、天の花婿であるお方がお用いになっている優雅な表現を見てみよう。

私の妹」とは先ず、人の絆で結ばれ、共に暮らし、思いやりを分け合う者である。「私の花嫁」とは、優しい愛の絆によって結ばれた、主の最も近くにいる主の最愛の人であり、主の愛しい生涯の伴侶であり、主のからだの一部分である。

私の妹」とは次に、主が人の姿をお取りになったことによって、血縁関係を持つ者となったということである。「私の花嫁」も次に、天において婚約し、地において主ご自身の義が転嫁され、主が娶った者である。

私の妹」は更に、幼い時からの遊び友だちであり、小さい時から見守って来た者である。「私の花嫁」は更に、多くの娘たちの中から選ばれ、主の愛の御腕に抱かれ、永久に主と一体とされた者という意味である。

次のことは真実である。私たちと同じように血肉のからだをお持ちになった王なる主イエスは、私たちを決して恥じることはない。何故か。主は、この「私の妹、花嫁」という二重の関係を喜んでおられるからである。英欽定訳聖書には「私の」ということばが二度出ている。さながら、キリストが教会を所有していることに大きな喜びをもっておられるのを示しているかのようである。

わたしは……人の子らを喜んだ《箴言 八・30~31》」。この「人の子ら」を選ばれたのは、主ご自身である。良き牧者なる主は、羊を探し求めた。「人の子ら」が主の羊であったからである。主は「失われた者を捜して救うために《ルカ 十九・10》」出て行かれた。「失われた者」は、失われる遥か以前に主のものであった。教会は主イエスだけのものである。他のものが、教会を主と共有したり、教会の愛の分け前を共有したりすることは出来ない。

主イエスさま。あなたの教会が主のものであり、主の愛から切り離されることのないことを喜びます。全ての主を信じる魂が、この慰めの井戸から生ける水を飲めますように。

魂よ。キリストは「愛の絆」によって、あなたの近くにおられる。キリストはあなたと結婚の契約を結ばれた。それゆえ、キリストにとって、あなたは愛し者となった。あなたもまた、キリストを最愛のお方として愛している。

見よ。主はご自身の両手であなたの両手を握り、「私の妹、花嫁」と言われる。主はあなたを二重に所有しておられる。あなたと共にあり、あなたから離れることは決してない。この二つの聖なる絆が主とあなたの間にあることを、心に銘記しなさい。

愛する者よ。主の聖なる愛のもとに立ち返るのに、遅くなることがないようにしようではないか。

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