一人なら打ち負かされても、二人なら立ち向かえる。三つ撚(よ)りの糸は簡単には切れない。《伝道者の書 四・12》
人は誰でも、苦しいとき、さびしくなります。孤独を感じます。順調な時は、人々が周りに集って来ます。苦しい時は、人々は近くに寄って来ません。けれども、主に従っているキリスト者や信仰の先輩たち、信仰の仲間たちは、いつも苦しみに会っている人々と近くにいてくれます。ですから私たち信仰者は、苦しみに会ったとき、人々から離れて一人で苦しむのではなく、信仰の仲間と交わりを持ち、苦しみを告白しましょう。信仰の仲間と一緒に祈り、交わることによって、信仰のいのちと勇気を得るようになるのです。「まことに、もう一度あなたがたに言います。あなたがたのうちの二人が、どんなことでも地上で心を一つにして祈るなら、天におられるわたしの父はそれをかなえてくださいます《マタイ 十八・19》」と書かれている通りです。また、「二人は一人よりもまさっている。二人の労苦には、良い報いがあるからだ。どちらかが倒れるときには、一人がその仲間を起こす。倒れても起こしてくれる者のいないひとりぼっちの人はかわいそうだ。また、二人が一緒に寝ると温かくなる。一人ではどうして温かくなるだろうか。一人なら打ち負かされても、二人なら立ち向かえる。三つ撚りの糸は簡単には切れない」と、《伝道者の書 四・9~12》に書かれている通りです。
神さまは、被造物、特に私たち人と愛の交わりを持ちたいと願っておられます。神さまは、おひとりでおられる神ではありません。旧約聖書には多くの祭りがありますが、神さまは、その祭りの中で、人々と共に過ごすことを願われます。
人生とは、人と共に生きるものです。神さまが人に苦しみを与える理由も、「ひとりで生きないで、人々と共に生きなさい。共に悩み、共に祈りなさい」という深い意味があるからです。苦しみに会ったとき、主に従っているキリスト者や信仰の仲間の励ましは、大きな力となります。
また、苦しみに会っている人の家を訪ね、共に祈れば、その人は大変喜びます。とりとめのない話で慰めても、苦しんでいる人は、大変感謝します。なぜでしょうか、苦しみに会って、心が弱くなっているからです。「あなたがたのうちに病気の人がいれば、教会の長老たちを招き、主の御名によって、オリーブ油を塗って祈ってもらいなさい。・・・・・・ですから、あなたがたは癒やされるために、互いに罪を言い表し、互いのために祈りなさい。正しい人の祈りは、働くと大きな力があります《ヤコブ 五・14、16》」と聖書は言います。
人は苦しみに会うとき、心も体も信仰も弱まります。その時に聞く慰めのことば、希望のことば、いのちのことばは大変な力となります。キリストの弟子は、苦しい目に会った人の力となり、勇気となり、希望となることができます。神さまの恵みは、愛と励ましの中に豊かに臨んでくださいます。
お祈り:私たちを愛してくださる天のお父さま、感謝します。私と家族は自分中心に生きて来ました。赦してください。これからは共に苦しみ、共に悩み、共に祈る私と家族となるようにしてください。苦しみに会っている隣人を慰め、勇気を与え、持っているものを分かち与える私と家族となるようにしてください。主イエス・キリストの御名によってお祈りします。アーメン


コメント