良い行いによって認められている人、すなわち、子どもを育て、旅人をもてなし、聖徒の足を洗い、困っている人を助けるなど、すべての良いわざに励んだ人にしなさい。《テモテへの手紙 第一 五・10》
私たちは、イエス・キリストによっていやされ、救われた者です。私たちの隣人である、学校の友だちや職場の人々を見ると、過去にひどい目にあって傷ついている人が大勢見受けられます。イエス・キリストによって、その人たちより先にいやされ、救われた私たちは、その人たちの良き隣人となるために、その人たちのそばに置かれています。良き隣人になるためには、どのようにすれば良いのでしょうか。
第一に、その人たちの友だちになることです。隣人の悪口を言ってはいけません。欠点を探して、「あの人は××なんだって」と、否定的なことを決して言うことのないようにしましょう。その人の弱点を探し出す者になってはなりません。聖書では、そのような人のことを「あざける者の座に着く人」と言っています。今日、私たちは高度に進んだ文明の中で生きていますが、みな孤独を感じています。イエスさまを信じる私たちは、「あざける者の座」についてはなりません。また、人々に対する無関心な態度を捨てましょう。そして、イエスさまが「恵みの座」についておられるように、私たちも「恵みの座」につきましょう。愛をもって隣人に近づきましょう。隣人を愛しましょう。
第二に、良き隣人になるためには、その人のために祈りましょう。聖霊さまは、その人に恵みを与えてくださいます。祈りは聖霊さまの助けを得る道です。隣人に傷つけられた人がいるならば、その人のために祈ることによって、聖霊さまがその人に働くことができるようにしてください。聖霊さまが働かれると、その友だちの心の中に神を知るための知恵と悟りが与えられます。主を信じることができ、間違った生活から抜け出ることができるようになります。
第三に、イエスさまの血潮のメッセージを伝えましょう。イエスさまの血潮以外に、この世の中で私たちを救えるものは何もありません。私たちは、宗教によって救われることできません。何かの儀式に参加して救われることはでさません。イエス・キリストが私たちのために血を流され、いのちを捨ててくださった、このメッセージ以外に人を救えるものは何もないのです。イエスさまを伝えましょう。
第四に、愛と親切で、その人を包んであげましょう。その人をおおってあげましょう。今日、人々は愛と親切で隣人をおおうことをしません。包むことをしません。むしろ、その人の弱味につけこんで殺そうとします。けれども私たちは、良きサマリヤ人のように、愛と親切でその人の傷をつつみ、傷をおおいましょう。傷つけられた人をイエスさまのみもとに導きましょう。天の御国の住人になれるように導きましょう。教会はキリストのからだです。主に選ばれた主の民が、イエスさまのお名前によって集っている所が教会です。ですから、キリストのからだに加えられ、一緒に主に礼拝をささげ、主に栄光をささげるように導きましょう。
お祈り:私たちを救ってくださり、新しくしてくださる天のお父さま、感謝します。主よ、私は自己中心に生き、自分の欲望のために生きて来ました。今、悔い改めます。私と家族が神さまと隣人のために生きることができるようにしてくださり、いつも感謝するようにしてください。主イエス・キリストの御名によってお祈りします。アーメン


コメント