9月4日 義に飢え渇いている者

義に飢え渇く者は幸いです。その人たちは満ち足りるからです。《マタイの福音書 五・6》

イエスさまが言われた、幸福な人の4番目の条件は、「義」です。

「義」とは、どんな意味でしょうか。一度も罪を犯したことのない状態です。悪魔に罪を訴えられたり、指摘されたりすることがないことを言います。けれども、聖書は言います。「次のように書いてあるとおりです。『義人はいない。一人もいない』《ローマ三・10》」、「すべての人は罪を犯して、神の栄光を受けることができない《ローマ三・23》」のです。なぜでしょうか。「こういうわけで、ちょうど一人の人によって罪が世界に入り、罪によって死が入り、こうして、すべての人が罪を犯したので、死がすべての人に広がったのと同様に──《ローマ五・12》」アダムが罪を犯したことによって、アダムから生まれた人類はみな、生まれながらの罪人とったのです。罪人の人間が、いくら修行しても、善いことをたくさん行っても、義人になることはできません。人間は、自分の努力で義となることはできません。自分の努力で義となろうとする人は、心の中にある悪を好む性質と、神に従おうとする思いによって、心の思いは引き裂かれるでしょう。また、社会の中にある悪を正義とし、正義を悪としている価値観に引き裂かれてしまうでしょう。そして最終的には、自分がいかに無力な者であるかを思い知って、絶望の中に落ち込んでしまうのです。

けれども、このことを深く知り、神から与えられる「義」を心から待ち望む人が、「義に飢え渇く者」です。このような人を神は祝福され、「その人たちは満ち足りる」と約束して下さっているのです。「義に飢え渇く者」は、罪が赦され、平安が与えられるのです。人間の力では得ることのできない「義」を与えるために、神はイエス・キリストをお遣わしになりました。イエスさまは、私たちの罪と呪い、不義、汚れ、絶望をみな背負い、十字架に釘づけられ、「すべて完了した」と言われ、息を引き取られました。キリストはすべてを清算して下さったのです。ですから、私たちがイエス・キリストを救い主として迎える時、義と認められるのです。今も、神は義に飢え渇く人々を、キリストによって満たして下さいます。イエス・キリストの御名以外には、誰によっても救いはありません。世界中でこの御名以外に、私たちが救われるべき名は、どのような名も人間には与えられていないのです。私たちが、神の御前でイエスさまを信じ、告白すれば、神による義が与えられるのです。

お祈り:私たちを義としてくださる天のお父さま、感謝します。私たちの罪に染まった心を、きよめてくださる恵みを感謝します。キリストの尊い血潮で清め、私と家族を義によって豊かに満たしてください。私が、罪と悪と快楽におびき寄せられて、勝手気ままで、ぜいたくな生活をすることがないように導いてください。主イエス・キリストの御名によってお祈りします。アーメン

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