義のために迫害されている者は幸いです。天の御国はその人たちのものだからです。《マタイの福音書 五・10》
義のために迫害されている人とは、イエス・キリストを信頼し、主に従うために迫害される人のことを言います。自分が損をしても天のお父さまと手を結び、みことばに従おうと決断するため、苦痛を受ける人のことを言います。
信仰とは、目に見えない天のお父さまを信頼し、目に見えない神の国がもう直ぐこの地上に訪れることを信じることです。この世の人には、そんなことを信じるのは非常に愚かなことです。人は、見えることしか信じないからです。人は、キリストを信頼している者を馬鹿にします。あざけります。また正しくない人は、キリストに従っている人を迫害します。家庭や学校で、隣人や親しい人から迫害を受けても、キリストを信頼している者は絶望しません。天の御国で祝福を受けることが約束されているからです。人は、キリストを信頼している者の財産、健康、権利と人権、生活の場所を奪うでしょう。けれども、その人から、天の御国、義と平和と喜びを奪うことは決してできません。イエス・キリストによって、天のお父さまから頂いた救い、聖霊さまとの親しい交わりを、キリスト者から奪うことは、決してできません。聖書に書かれている人々や信仰の先輩たちは、最後まで信仰を守り通しました。人から多くの迫害を受けた、使徒パウロは言っています。「私たちは四方八方から苦しめられますが、窮することはありません。途方に暮れますが、行き詰まることはありません。迫害されますが、見捨てられることはありません。倒されますが、滅びません。私たちは、いつもイエスの死を身に帯びています。それはまた、イエスのいのちが私たちの身に現れるためです。《Ⅱコリント 四・8~10》」
キリストを信頼している者が迫害される時、その人は一人ではなく、聖霊なる神さまがそばにいて守って下さっているのです。ですから、どんな迫害を受けても、決して失望したり、信仰を捨てたりする必要は全くありません。最後まで忍耐する人は、必ず救われるのです。エルサレム教会の長老だったヤコブは言っています。「兄弟たち。苦難と忍耐については、主の御名によって語った預言者たちを模範にしなさい。見なさい。耐え忍んだ人たちは幸いだと私たちは思います。あなたがたはヨブの忍耐のことを聞き、主によるその結末を知っています。主は慈愛に富み、あわれみに満ちておられます。《ヤコブ五・10~11》」使徒パウロも言っています。「今の時の苦難は、やがて私たちに啓示される栄光に比べれば、取るに足りないと私は考えます。《ローマ八・18》」
迫害は、賛美に変わります。天の父なる神さまは、敵の前で宴会を開いて下さるお方です。今あなたは、迫害や苦難の中にいますか。その迫害や苦難を忍耐するのは苦しいですが、私たちには天の御国が約束されています。迫害に耐えることは、喜ばしく、また希望となります。ですから、どんなに迫害されても希望を失わずに、忍耐をもって喜んで受け入れましょう。天の御国の主人である天のお父さまは、義のために迫害される人に、天の御国の扉を開いてくださり、報いをお与えになるからです。
お祈り:天の御国の主人でいらっしゃる天のお父さま、この世で生活するとき、いろいろな迫害と、それに伴う苦痛を受ける時が多いですが、このような時に、絶望せずに信仰を堅く守り、約束された御国を待ち望むことができるように導いてください。たとえどんな迫害が迫って来ても、信仰を失うことがないよう、私たちの信仰を強めてください。この世は滅びます。御国のために献身する私と家族となるようにしてください。主イエス・キリストの御名によってお祈りします。アーメン


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