私たちの戦いの武器は肉のものではなく、神のために要塞を打ち倒す力があるものです。私たちは様々な議論と、神の知識に逆らって立つあらゆる高ぶりを打ち倒し、また、すべてのはかりごとを取り押さえて、キリストに服従させます。また、あなたがたの従順が完全になったとき、あらゆる不従順を罰する用意ができています。 《コリント人への手紙 第二 十・4~6》
《ヨブ記》には、ヨブが苦しみに襲われた様子が記されています。苦しみに襲われた時、ヨブは、「なぜ私にこんな災いが襲って来るのか。なぜ私がこんな苦しみと痛みを受けなければならないのか」と考え、苦しみました。「神さまは、私の祈りに答えてくださらない。私は神さまに裁かれた。神さまは、私に苦しみを与え、一方では悪者を栄えさせておられる。」ヨブは、このように嘆きました。
けれども、神さまは、嵐の中でヨブに答えて言われました。「非難する者が全能者と争おうとするのか。神を責める者は、それに答えよ。《ヨブ記 四十・2》」ヨブは、主に答えて言いました。「ああ、私は取るに足りない者です。あなたに何と口答えできるでしょう。私はただ手を口に当てるばかりです。一度、私は語りました。もう答えません。二度、語りました。もう繰り返しません。《同 四十・4~5》」ヨブは、神さまに口答えしたことを深く悔い改めました。
このように、神さまの大きな恵みを体験した人は、言葉数が少なくなり、理屈を言わなくなります。今も、主なる神さまを体験的に知る知識を持たない人は、人間の知恵だけを信じて生きていますから、理屈が多く、言い訳が多いのです。また、「イエスさまを信じます」と言っていても、すべてのことでイエスさまに信頼できない人は、人間の理屈と人間の知恵に従って生きているのです。そのような人は、献金や什一返金も惜しんだり、礼拝会や祈祷会を休んだりと、心は不安定なままです。聖書のみことばも、自分が信じることができるところは信じるけれども、自分が気に入らないところは、信じようとしません。聖霊さまは、そのような人の意思を砕きます。聖霊さまに触れられると、理屈や口答えがなくなり、主の御前で「従順な者」に変えられます。
私たちの理屈や人間が用いる知恵や言い訳をする意思を、主に砕いて頂かなければなりません。聖霊さまに触れて頂き、キリストに従う者に変えて頂かなければなりません。私たちが、主に従順できるとき、聖霊さまが私たちに主を信頼する力をくださるのです。すると、善き神は、アダムとエバのためにエデンの園を用意してくださったように、私たちの生活のすべてを面倒見てくださるのです。何を食べるか、何を着るか、何を飲むか、どこに暮らすかを、私たちは心配する必要がありません。私たちがイエスさまに従う時、それらの問題は、天のお父さまが解決してくださるのです。
お祈り:私と共にいてくださる聖霊さま、感謝します。私は人間の理屈や知恵によって、つぶやく時がありました。赦してください。どんな時にもへりくだって、イエスさまにお仕えすることができますように。主と共に生活し、主に栄光をおささげすることができますよう、聖霊さま、助けてください。主イエス・キリストの御名によってお祈りします。アーメン


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