ああ。渇いている者はみな、水を求めて出て来るがよい。金のない者も。さあ、穀物を買って食べよ。さあ、金を払わないで、穀物を買い、代価を払わないで、ぶどう酒と乳を。《イザヤ書 五十五・1》
どうすれば、本当の幸せである心の中の喜びを見いだすことができるのか、2回にわたり、学んでいますが、きょうは2回目です。
毎日の生活の中で、心が心配で一杯になった人は、しばらくの間それを忘れようとして、強い酒を飲んだり、快楽に没頭したりします。イエスさまが与えてくださるぶどう酒である聖霊さまは、永遠の喜びを与えてくださいます。ぶどう酒である聖霊さまに満たされることによって、心は喜びに満ちあふれます。
今は競争社会です。このような厳しく、悪のはびこる社会で、日々勝利するには、神さまが与えてくださる知恵が必要です。神さまがくださる揺るぐことのない信仰が必要です。決断する力が必要です。「ですからあなたがたは、すべての悪意、すべての偽り、偽善やねたみ、すべての悪口を捨てて、生まれたばかりの乳飲み子のように、純粋な、霊の乳を慕い求めなさい。それによって成長し、救いを得るためです《Ⅰペテロ二・1~2》」と書いてあるように、みことばの純粋な乳を飲むことによって与えられます。生まれたばかりの子どもが育つためには、乳が必要です。同じように、私たちの心(霊と魂)が成長するためには、みことばが必要です。主は「乳を慕い求めなさい」とおっしゃます。《創世記》から《ヨハネの黙示録》までのみことばを、聖霊さまに教えて頂きながら読む時、キリストの知恵と、知識と、判断力が与えられます。また聖霊さまは、信仰、希望、愛、喜び、平安、寛容、親切、善意、誠実、柔和、自制のお方です。聖霊さまを心の中にお迎えすると、私たちの人格はイエス様のように変えられていくのです。生まれたばかりの乳飲み子が、乳を飲まなければ成長することができないように、純粋なみことばの乳を飲まないクリスチャンは、信仰が育ちません。聖書のみことばには、神さまの知恵と知識と信仰と分別力がありますから、みことばの乳を飲むならば、神さまの知恵と知識と判断力を持つようになるのです。
きょうのみことばで、主は「乳を買いなさい」と主はおっしゃっています。私たちが聖書のみことばを黙想すると、この厳しく、悪のはびこる社会、競争社会で暮らしていくのに必要な知恵と知識と揺るぐことのない信仰を得ることができます。そればかりでなく、キリストに似る者として霊的に成長することができるのです。人間が生活して行くためにいろいろな食べ物を食べるように、霊的にも栄養を取らなければなりません。主が身代りとなってご自分のいのちを差し出してくださり、罪の代価を支払ってくださったので、私たちはお金を払わないで、ただで買うことができるのです。またイエス・キリストが与えてくださるいのちの水である聖霊さまを飲むなら、霊の底から潤されるのです。イエスさまが与えてくださるぶどう酒であり、いのちの水である聖霊さまによって、生活の中に喜びが満たされます。聖霊さまと共に、神さまのみことばを黙想するとき、今私たちに必要なみことばが与えられます。そればかりでなく、イエス・キリストに似た者とされて、どこに行っても、頭(かしら)となり尾となることはないようにしてくださるのです。
お祈り:真理の神なる天のお父さま、感謝します。神さまの真理のみことばを、聖霊さまと共に頂くことができますように。荒野のようなこの世界で立派に暮らして行くために、純粋なみことばの乳が必要です。毎日の生活で傷を受け、疲れてしまうことがあります。その度ごとに、真理のみことばによって慰め、励まし、力に満たしてください。主イエス・キリストの御名によってお祈りします。アーメン


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