10月25日 真理はキリスト者と共にある

真理は私たちのうちにとどまり、いつまでも私たちとともにあるからです。《ヨハネの手紙 第二 2》

ひとたび神の真理が人の心の中に入り、その人の全人格を真理に従わせる時、人であっても地獄であっても、どんな力も、その真理を追い出すことは出来ない。私たちは、その真理を客としてではなく、主人として迎える。これは、クリスチャンであるなら至極当り前のことである。このように真理を主人として迎えることを信じない者は、クリスチャンではない。聖霊は、クリスチャンに福音の内にある神の生きた力を感じさせてくださる。また、クリスチャンが、主のみことばに聞くようにさせてくださる。更に、そのみことばをクリスチャンが自らに適用するようにさせてくださる。また更には、クリスチャンを主の内に封印してくださる。この聖霊の力を知る者は、福音から引き離されるよりは、寧ろ八つ裂きにされることを願う。

真理は、永遠に私たちと共にある。このことを確信することによって、何と多くのいつくしみが添えて与えられることだろうか。真理は、私たちがこの地上で生を受けている間、私たちを支える。また、私たちが死ぬ時、慰めを与える。更に真理は、御国で目覚める時の歌となる。更にまた、私たちに永遠の栄光を与えてくれる。真理が私たちの内に留まることは、クリスチャンの特権である。真理がなければ、私たちの信仰は無価値なものとなる。

或る真理は、信じて間もない者を教える初歩の教えや、基礎的レッスンに過ぎないと思える。それゆえ、私たち成長した者は、その教えから離れてしまうことがある。しかし、神の真理に対し、そのような態度を取ってはならない。その真理は、赤ん坊のようなクリスチャンにとって、おいしい食物である。同時に、成長したクリスチャンにとっても、申し分のない栄養を与えるのである。私たちが罪人であるという真理は、私たちには耳障りな教えである。しかし、私たちを謙遜にさせ、注意深くさせるのである。主イエスを信じる者は誰でも救われるという、私たちを幸いにする真理は私たちと共にあって、希望となり喜びとなる。この真理を経験することで、主の恵みに益々信頼するようになり、更に私たちをしっかりと真理に結び付けることになる。こうして、私たちが信じる根拠は、今まで以上に数多く存在するようになる。信じる動機も、かつてなかったほど強くなる。私たちの臨終の際、救い主にすがるまで、このようであることを期待する。

真理への変わらぬ愛が見い出される所では、私たちは愛を実践しなければならない。数人の狭い愛の交わりでは、私たちが持つ深い同情心を共有することは出来ない。神の恵みによる選びが広いように、私たちの心を広くし、交わりも広くしなければならない。

受け取った真理の中には、多くの誤りが混じっているかもしれない。この誤りと戦おうではないか。そして、神から受けた真理に応じて兄弟を愛そうではないか。殊に、心を傾けて真理を愛し、その真理を広めようではないか。

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