しかし、イスラエルの子らが迷ってわたしから離れたときも、わたしの聖所の任務を果たした、ツァドクの子孫のレビ人の祭司たちは、わたしに近づいてわたしに仕え、わたしの前に立ち、わたしに脂肪と血を献げることができる──【神】である主のことば──。《エゼキエル書 四十四・15)
神さまにお仕えしたいのならば、神さまに近づくことです。東京にいる親に仕え、親孝行をしたいと考えている人が、大阪にいたらどうでしょうか。病院にいる患者さんに仕えたいと考えている人は、病院にいなければなりません。自分の家にいて、たくさんの患者さんに仕えることはできません。キリスト者が神さまにお仕えするためには、神さまに近づかなければならないのです。
クリスチャンの中には、教会堂に集まりイエスさまを礼拝する日曜日に、山登りに行く人もいます。その人たちは、「私は教会ではなく、山の上に登って、神さまを賛美します」と言います。このような態度は、自分の欲望に仕えることであって、神さまにお仕えする態度ではありません。きょうのみことばに書かれているように、「わたしの聖所で…、わたしに近づいてわたしに仕え、わたしの前に立ち、わたしに礼拝をささげなさい。」 神さまにお仕えしたいと思っている人は、先ず日曜日に集まって、主に礼拝をささげるのです。また、毎日毎日のスタートを、何よりも神さまを賛美し、感謝をもって祈りをささげることから始めるのです。更に、神さまのみことばに徹底的に従うことです。まず神の国と義を求めることを、最優先にするのです。これらのことを後回しにするなら、神さまにお仕えすることはできません。聖書は言います。「神に近づきなさい。そうすれば、神はあなたがたに近づいてくださいます。《ヤコブ 四・8》」 神さまの御前に堂々と出られる資格と、きよさと、神の愛と、天の御国を広めることを追い求めることが、神さまに近づくことであり、神さまにお仕えすることなのです。
ところが、私たちは知らなければならないことが一つあります。すべてのことを、私たちの考えや計画に従って、行ってはならないのです。一つひとつのことに、聖霊さまの導きを受けなければなりません。聖霊さまは、時には、私たちに大声で祈り、賛美するように導かれます。ところが、またある時には、ただ黙って、主を思い、静かにして、主の御声を聞くように導かれる時もあります。聖霊さまの導きを受けながら、神さまにお仕えすることです。天のお父さまは、大声の熱心な祈りも聞いてくださいます。ただ黙って、主を思いながらの祈りも聞き取ってくださいます。大切なことは、外側に現れる行動ではなく、どれほど真実に、誠実な心の態度で神さまにお仕えするかということです。
みなさんは、誰にお仕えするために生きていますか。みなさんが、神さまにお仕えするために生きたいと願うならば、聖霊さまの導きを受けることがとても重要です。ある人は、神さまにお仕えすると言いながら、自分の欲望に仕えています。このような人は最終的に悲しい結末を迎えます。これは、自分を満足させ、自分を喜ばせていることです。私たちは、ただ聖霊さまの導きを通して、神さまを満足させ、神さまに喜ばれることを求めていかなければなりません。イエスさまの御名によって一緒に集まらず、きよくない生活をするクリスチャンを、神さまに仕えている人だと言うことはできません。私たちが神さまにお仕えしたいのならば、本当に神の国の義を現し、神の御国を広めていくことに、自分自身をささげなければなりません。
お祈り:私と家族とに、いつも共におられる天のお父さま、感謝します。私と家族は、神さまから遠く離れて生きてきました。赦してください。これから、いつも神さまの近くにいて、福音と隣人のために生きて行く者とさせてください。主イエス・キリストの御名によってお祈りします。アーメン


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