わたしはあなたがたに平安を残します。わたしの平安を与えます。わたしは、世が与えるのと同じようには与えません。あなたがたは心を騒がせてはなりません。ひるんではなりません。《ヨハネの福音書 十四・28》
人がどんなに派手でぜいたくな生活をしても、その人の心の中に不安と恐れがあるならば、その人は幸せとは言えません。心の中の本当の平和こそが、幸福の原点なのです。
私たち人は、生まれたときから、不安という病気を背負って生活しています。限られた時間、限られた空間の中で生きています。私たちはとてもちっぽけな、限りある存在です。虫けらのような小さな存在です。周りの状況に左右されてしまう、弱い存在です。また、私たちの知恵や知識、能力や力では解決できない問題が、毎日たくさん起こります。
また、私たち人は、罪責感に苦しみます。この世で生活する人は誰でも、罪を犯さない人は一人もいません。罪と良心は、直接に結ばれています。良心の門をたたく罪責感は、私たちの人生の行く手を阻みます。私たちは自分の努力によって、罪責間を拭い去ろうとします。
また、私たち人は、自分が何のために生まれ来たのかを知りません。
また誰でも、自分が愛され、また愛することのできる人を求めています。そうすることのできる相手がいない時には、不安になります。
この問題が解決されなければ、いくら立派な家に住んでも、贅沢な暮らしをしても、本当の幸せにはなれないのです。この不安を私たち人は、どのように解決すればよいのでしょうか。
その答えは、イエス・キリストの中にあります。イエスさまは、この世の終わりまで私たちと一緒にいると約束されました。イエスさまは、時間と空間を越えて、私たちの人生に祝福を与える創造主なる神さまです。イエスさまによって私たちは、不安から解放されるのです。
また、イエス・キリストが十字架に釘づけられ、死んでくださったので、その贖い、すなわち罪の赦しによって、私たちのすべての罪が赦されました。本当に罪責感の不安から解放されるのです。また、生きる確かな目的を豊かに与えてくださるのです。そして、私たちは、イエスさまが死からよみがえられたことによって、死から解放され、死の力からも解放されたのです。
「わたしはあなたがたに平安を残します。わたしの平安を与えます」と、きょうのみことばでイエスさまがおっしゃるように、イエスさまがくださる平安を、心の中に満たして頂きましょう。
お祈り:祝福の源であられる天のお父さま、感謝します。私は何のために生まれ、どこに行くのかも知らずに、いつも不安で、さ迷っていました。でも今はイエス・キリストが道であり、真理であり、いのちであることを悟りました。これからはイエスさまだけを信頼し、神さまの栄光を現すために生きる覚悟をしています。どうか私と家族を導いて、力ある主の御手で助けてください。主のくださる平安の中で、主が喜ばれる道を歩むことができますよう、聖霊さま、祝福してください。主イエス・キリストの御名によってお祈りします。アーメン


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