2月15日 キリストに栄光が、永遠にありますように

イエス・キリストに栄光が、今も永遠の日に至るまでもありますように。《ペテロの手紙 第二 三・18》

天には、イエスに賛美をささげる声が、絶えず満ちている。そう、永遠に満ちているのである! 数え切れない歳月は絶えず流れ、永遠の日々は果てしなく続く。その一日一日に、「栄光が、永遠の日に至るまで」、その通り永遠に、栄光がキリストにある。

キリストは、「メルキゼデクの位に等しい大祭司」ではないだろうか。「イエス・キリストに栄光が…ありますように。」キリストは、「永遠の日に至るまで」に王ではないだろうか。「王の王、主の主《黙示録 十九・16》」、「永遠の父《イザヤ 九・6》」ではないだろうか。「イエス・キリストに栄光が…永遠の日に至るまでもありますように。」このように、主の栄光をほめたたえる賛美は、決して途絶えることがない。

キリストの血によって贖われた者は、決して死ぬことのないお方が天にまします限り、共に永遠に生きるにふさわしい者とされている。十字架の栄光が、たとい僅かであろうと、決して失われるようなことがあってはならない。からになった墓と復活の輝きが霞むようなことが、決してあってはならない。主イエスよ、永遠に賛美を受けるにふさわしいお方よ。主にささげられる賛美は、よみがえりのいのちを頂いた者が天で生きている限り、絶えることはありません。天に、父の御座が存続する限り、主への賛美は絶えることはありません。永遠に、永遠に、主に栄光がありますようにという賛美は続くのです。

信仰者よ。あなたはやがて天上に移された聖徒たちに加わり、すべての栄光をイエスに帰する日の来ることを待ち望んでいる。しかし、この地上にある今、主に栄光をささげているだろうか。使徒は言っている。「イエス・キリストに栄光が、今も永遠の日に至るまでもありますように。」今日、使徒と同じ祈りをささげようではないか。

主よ。私に、あなたをあがめさせてください。私は力の乏しい者だからです。

主よ。私に、満ち足りる心をお与えください。あなたをあがめさせてください。私の心は病んでいるからです。

主よ。私に、忍耐の限りを尽くし、あなたの栄誉をほめたたえさせてください。私には、主からの賜物が幾つか与えられているからです。

主よ。私に、その賜物を用いさせ、あなたの御名を高く掲げ、あなたをほめたたえさせてください。私には時間が与えられているからです。

主よ。あなたに仕えるため、私に与えられている時間を主のために用いさせてください。私には敏感な心が与えられているからです。

主よ。与えられているその私の心に、あなたの愛だけを受け取り、あなたの愛で心の内を燃え立たせ、輝かせてください。私には考える力が与えられているからです。

主よ。その考える力を用い、いつも主を深く思い、いつも主のお働きについて思わせてください。あなたは何事かを成させるため、私をこの世に置かれたからです。

主よ。それがどのようなことであるのか、私にお示しください。私に、その人生の目的を達成させてください。私は多くを成すことはできません。しかし、生活費の全てであるレプタ銅貨二つをささげたやもめのように、私をも、そのような者とならせてください。

主よ。私に与えられた地上の時と、永遠の時をも、あなたにささげますので、あなたの倉にお納めください。 主よ。私の全てはあなたのものですから、私をお取りください。今私を用い、あなたをあがめさせてください。私の語るところ、成すところ、私の持っている全てによって、あなたの栄光をほめたたえさせてください。

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