3月12日 隣人を愛する

『あなたの隣人を愛し、あなたの敵を憎め』と言われていたのを、あなたがたは聞いています。《マタイの福音書 五・43》

あなたの隣人を愛しなさい。

次のような状況があったとしよう。或る大金持ちの人の豪邸の隣で、あなたは小さな小屋に住んでいる貧乏人である。毎日、あなたは彼の庭園や高級な衣服、おいしそうなご馳走を目にしている。神が、その人にこれらの賜物をお与えになった。その人の富を欲しがってはならない。その人に対して悪い思いを抱いてはならない。たとい、あなたの境遇が悪かろうとも、今持っているもので満足しなさい。その隣人があなたのように貧しくなれば良いなどと、望んではならない。その人を愛しなさい。そうすれば、あなたはその人を妬むようなことはない。

今度はそれと反対に、次のような状況になったとしよう。あなたが大金持ちで、隣には貧しい人々が住んでいる。その人々の友となること、「隣人」と呼ぶことを決してためらってはならない。あなたは、彼らを愛する義務があることを知っているはずである。世は、彼らを下流階級と見ている。劣っている人々だと呼んでいる。彼らのどこが劣っていると言うのか。少しも劣ってはいない。それどころか、同等以上である。なぜなら「神は、一人の人からあらゆる民を造り出して、地の全面に住まわせ《使徒 十七・26》」たからである。あなたの身にまとっている服は、確かに彼らの服より上等である。しかしあなた自身は、決して彼らより優れてはいない。あなたも彼らも「人」である。あなたは「人」以上の存在になることは出来ない。あなたの隣人である彼らを心から愛しなさい。たとい、彼らがぼろを身にまとい、貧しさのどん底に沈んでいようとも、そうしなさい。

そして最後に、次のようなことをあなたが言ったとしよう。「私には、隣人を愛することは出来ない。私が彼らのためにして来たことに対して、彼らは恩をあだで返すようなことばかりしてきた。私の顔に泥を塗るようなことばかりして来たのである。」ここに「人が自分の友のためにいのちを捨てること、これよりも大きな愛はだれも持っていません《ヨハネ 十五・13》」という英雄的な愛が示さるべき余地が、多く残されているのである。愛には、内なる戦いに耐えることが求められる。あなたは、羽毛布団で惰眠を貪るような戦士になりたいのだろうか。愛の道が険しくても、勇敢に前進しなさい。順境の時も、逆境の時も、終始変わらず、それでも隣人を愛し続けなさい。彼らの頭に燃える炭火を積みなさい《ローマ 十二・20》。どうしても彼らを喜ばせることができないならば、彼らを喜ばせるためではなく、主をお喜ばせするために努力しなさい。次のことを忘れてはならない。たとい、彼らがあなたの愛を拒絶しても、主は決してあなたの愛を拒まれることはない。あなたの行為が彼らに受け入れられるのであれば、主に受け入れられるのは尚更である。

あなたの隣人を愛しなさい。そうすることで、あなたはキリストの足跡に従っているのである。

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