7月12日 奇跡を行なってくださる神さま

 「わたしはあなたを多くの国民の父とした」と書いてあるとおりです。彼は、死者を生かし、無いものを有るものとして召される神を信じ、その御前で父となったのです。《ローマ人への手紙 四・17》

アブラハムは、信仰の父です。彼は望みえない時に望みを抱いて、神さまの約束を信じ続けました。100歳の時、約束の通り、息子イサクを得たのです。イサクを通して空の星のように、海辺の砂のように、数多い子孫を得ました。アブラハムは死者を生かし、無いものを有るもののようにお呼びになる奇跡の神を信じました。今日、私たちも奇跡の神を信じましょう。

神さまはどんなお方でしょうか。「死者を生かし、無いものを有るものとして召される神」であり、病人をいやし、砂漠に水を湧き上がらせ、荒れた地を肥えた地に変え、永遠の罪を永遠のいのちに変えてくださる神です。ひと言で言えば、神さまは全知全能のお方です。キリスト者は、主を信じれば信じるほど、聖い生活をし、更に奇跡の神さまを信じる世界に入るよう努める必要があります。

信じていることは、未来に起こるのではありません。多くのクリスチャンは「祈っていれば、何とかなるでしょう。神さまは、いつか未来に、奇跡を起こして下さるでしょう」と言います。信仰についてよく分かっていないため、このようなことを言うのです。イエスさまはおっしゃいます。「ですから、あなたがたに言います。あなたがたが祈り求めるものは何でも、すでに得たと信じなさい。そうすれば、そのとおりになります。《マルコ 十一・24》」信仰は、このように、既に神さまが奇跡を行ったと心に受け入れ、そのように考え、語り、行動することです。これが生きて働く信仰であり、奇跡を体験できる信仰です。

私たちは、この信仰を持つことができます。私たちが、救い主として心の中にお迎えしたイエスさまが、十字架の上で、既にすべてを完了されたからです。あなたがこの信仰を持てないのは、貪欲と、人間的な思いと、あなたの自己中心の意志や考えが障害物となって、聖霊さまが働けないようにしているからです。

信仰とは、奇跡を信じることです。事実、罪を赦され、救われ、永遠のいのちを得て、永遠に生きるということ自体が奇跡です。これより大きな奇跡が、どこにあるのでしょうか。人にはできないことが、神さまにはできます。ですから私たちは、神さまが奇跡を行ってくださるという望みを抱いて、「すでに得たと信じ」なければなりません。そして時間と空間を飛び超え、無いものを有るもののように心に受け入れ、認め、行動し、感謝しなければなりません。

アブラハムは、このような信仰を持つことができたので、奇跡を体験しました。イエスさまを信頼している人を、この世の人が見ると、「あいつは気が狂っている。とても正常とは言えない」と言います。見えない天国を語り、描き、見えない神さま、見えない世界を語り、描くからです。神さまは、このような奇跡を信じ、奇跡を体験する信仰を通して、あなたを通して、ご自分のみこころを、この地に広めたいと願っているのです。あなたを通して、奇跡としるしを行ってくださるのです。

お祈り:私たちを愛してくださる天のお父さま、感謝します。私と家族が奇跡の神さまを信じるようにしてください。神さまの奇跡を体験できるようにしてください。そして、その奇跡を通して隣人を愛し、隣人のために愛の犠牲を払う生活ができるように、聖霊さまの力をください。主イエス・キリストの御名によってお祈りします。アーメン

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