実に、義を追い求める者はいのちに至り、悪を追い求める者は死に至る。《箴言 十一・19》
人は誰でも、幸せを追い求めます。本当の幸せは、神さまの御前にいつでも堂々と出ることのできる資格である「神の義」を、神さまから頂くことです。これを毎日の生活の中で、もっともっと強く、はっきりと頂くように努めるとき、本当の幸せを手にすることができるのです。この「神の義」がなければ、どんなに豊かになり、どんなに有名になっても、幸せになれません。
人は誰でも、みな生まれながら罪人です。罪人は神からほめられることは決してありません。「すべての人は罪を犯して、神の栄光を受けることができず《ローマ書三・23》」と、書かれている通りです。人は、どんなにすばらしい働きをしても、その働きによって「あなたは義です」と神さまから認められることはできません。神さまが人に与えてくださる義は、ただイエス・キリストの十字架の贖いを通してだけです。神さまは、罪と罪人を厳しく、徹底的に裁きます。イエスさまは、罪人である私たちと、私たちの罪をその身に負い、十字架上で神さまの裁きをすべて受けてくださいました。私たちに降りかかる裁きを、既に受けてくださいました。このイエスさまの十字架の御業を信頼する者に、神の義が与えられます。人格をすばらしくしようと修行したり、心の中にある欲望を押さえつけるために禁欲主義を取り入れたりすることは、他の宗教がみなしていることです。しかし、救いと神の義、永遠のいのちは、ただイエス・キリストの贖いを通してだけ与えられるのです。
イエス・キリストによって神の義を与えられたなら、その日から、神の義の基礎を堅固にする必要があります。なぜなら、人がお風呂に入って体を洗っても、またすぐにきたなくなるように、心に罪がほこりのように絶えず近づくからです。ですから救われた私たちに、「熱心になって悔い改めなさい。悔い改めにふさわしい実を結びなさい」とイエスさまはおっしゃっています。この世がもうすぐ終わる今のこの時は、罪と悪がしつこくキリスト者に近づいて来ます。ですから、絶対に罪と妥協せず、罪と手を結んではなりません。いつでも神さまの御前に立てる備えが必要です。
けれども、人には力はありません。力を与えてくださる聖霊さまに、お頼りする以外に方法はありません。聖霊さまに頼るとき、罪に打ち勝つ聖い生活を送ることができます。また神の義の基礎を築くことができます。神の義の基盤を築くということは、具体的には「キリストの律法」を行うことです。聖霊さまの力に頼って、神の御前で、心の中にある貪欲を砕きましょう。イエスさまの御名を、自分勝手な欲望のために使うことがないようにしましょう。救われている私たちは、定期的に集まって、礼拝をささげ、交わりを持ちましょう。父と母を敬いましょう。隣人の悪口ではなく、隣人の良い点を見て、励ましましょう。異性を、情欲をもって見ることがないようにしましょう。隣人に自分の持ち物を分かち合いましょう。隣人に真実を語りましょう。そして、イエスさまが言われたように、互いに愛し合いましょう。
このようにして義を堅く築いているとき、どのような苦しみや困難が襲って来ても、イエスさまを信頼し、イエスさまに期待し、イエスさまに希望を持って生活できます。またイエスさまによる解決が与えられます。
お祈り:私と家族を救って下さり、義なる者としてくださった天のお父さま、感謝します。私と家族は義なる生活、聖い生活を送ることができませんでした。赦してください。私と家族が、信仰により、神の義を得られるようにしてください。私と家族がどこにいても、信仰によって、義なる生活を送ることができるように助けてください。キリストの義を証しするようにしてください。主の栄光を現わすようにしてください。主イエス・キリストの御名によってお祈りします。アーメン


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