兄弟たち。私は、自分がすでに捕らえたなどと考えてはいません。ただ一つのこと、すなわち、うしろのものを忘れ、前のものに向かって身を伸ばし、キリスト・イエスにあって神が上に召してくださるという、その賞をいただくために、目標を目指して走っているのです。《ピリピ人への手紙 三・13~14》
いよいよ年末となりました。冷たい風が吹いて来ます。新年を迎えるとき、誰もが心は期待で一杯になることを感じます。しかし、私たちは新しい年を迎える前に、過去を整理しなければなりません。
聖霊さまは、使徒パウロを通して、私たちの毎日の生活を整理するため、「うしろのものを忘れなさい」と言われました。ちょうど、川の流れの上に花びらを一枚一枚千切って流すように、悲しみや憎しみ、恥ずかしさ、罪を全部、過ぎ去る年月の中に流してしまいましょう。
まず、自分自身を罪に定める意識を捨てましょう。この意識は私たちに、余計な罪責感を持って来ます。この罪責感は、心の中から喜びを失わせ、勇気と希望を失わせてしまいます。そうすると、人間は病気になってしまいます。すべての罪責感をイエスさまの御前に降ろして、十字架の尊い血潮によって洗い清めて頂きましょう。天の父なる神さまは、私たちの罪を二度と思い出すことはないと言われました。私たちはこのみことばを信じて、自分自身の罪をみな告白し、悔い改め、洗い清めて頂き、みな忘れてしまいましょう。
第二に、私たちは過去の失敗を何度も思い返しては、人と比べて、自分はダメな人間なんだ、自分には何の希望もないんだ、と打ち沈んではなりません。人はみな人間関係や事業に失敗すると、自分自身を失敗者であると決めつけます。そして、益々失敗者だというイメージを堅く持つようになり、自分はダメな人間なんだ、自分には何の希望もないんだという気持ちの中に沈み込んでしまうのです。しかし、一度も失敗したことのない人がいるでしょうか。たとえ、ある仕事に失敗したとしても、その仕事にだけ失敗したのであって、人生の全てを失敗したのではありません。ですから、失敗から来る劣等感と挫折感という上着をみな、脱ぎ捨ててしまいましょう。
第三に、完全主義を捨てましょう。完全主義には、常に破壊という不幸がついて回ります。なぜなら、私たち人間は自分の力では完全なことはできないからです。完全主義の人は、自分自身に対しても、他人に対しても、厳しく責め立て、完全主義の基準によって、自分と他人を裁きます。弱点や失敗を、イエス・キリストの愛でかばい、覆って、赦し、寛容と忍耐をもって接しましょう。このような生活にこそ人生の意味があるのです。
最後に、私たちは、過去の栄光の中で暮らしてはいけません。人間は目的を持って生きる存在です。新しい目的もなしに、過ぎた栄光の日々を思って暮らしていては、滅びるばかりです。過去には、さっさと決別して、新しい目標を持って、日々の生活を聖霊さまと共に生きて参りましょう。
お祈り:天地を創造なさった主なる神さま、感謝します。イエスさまに出会ったとき、盲人のバルテマイが信仰によって上着を脱ぎ捨てたように、この一年、悩まされた罪の意誠、挫折感、失敗者であるという意識を捨てます。愛と赦しの天の父なる神さま、私と家族を温かく守り、豊かな祝福で満たしてください。新年には、主の御前に、うるわしい家族となれますよう、聖霊さま、強くお導きください。主イエス・キリストの御名によってお祈りします。アーメン


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