4月19日 誰を自分の主人として仕えていますか?

あなたのわざを【主】にゆだねよ。そうすれば、あなたの計画は堅く立つ。《箴言 十六・3》

「主よ。主よ。」と口では言いながら、心には真の平安と喜びを得られず、苦しんでいるクリスチャンが沢山います。なぜでしょうか。その根本的な原因は、「誰を自分の主人として、仕えているのか」ということです。真の平安と喜びを得られない人は、自我が主人となっているのです。礼拝も、献金も、奉仕も、伝道も、生活のすべてが自分中心です。自我を主人としつつ、「主よ。私を祝福して下さい。平安と健康を下さい」と祈っているのです。このようなクリスチャンは、社会にたくさん出回っている御利益信仰を信仰している人と、全く同じです。イエスさまから祝福だけを受け取るために信じ、利用しているのです。イエスさまを、私が心から愛するお方、ひれ伏し礼拝をおささげするお方、お仕えするお方とは考えていないのです。

キリストに従う人は毎日、自我を主人とすることを捨て、神さまを主人とし、イエスさまを心の王座に絶えずお迎えする生活を、確立しなければなりません。私たちの霊と心と体と生活も、両親や友だちや恋人も、みな神さまの御心に従う生活、これがキリスト者の正しい信仰態度、悔い改めた態度なおです。私たちがこの正しい態度で生活すれば、神さまは私たちのすべての責任を取ってくださいます。そして私たちの心には、平安と喜びが臨みます。けれども、自分ですべてのことを解決しようとする人にとって、人生とは呪われているのではないかと思えることが次々と起こり、人生は苦しいものであり、疲れを感じるだけのものです。その人は、額に呪いの汗を、絶えず流さなければなりません。

ですから私たちは、神さまにすべてを委ね、神さまに感謝しなければなりません。「あなたの重荷を【主】にゆだねよ。主は、あなたのことを心配してくださる。主は決して、正しい者がゆるがされるようにはなさらない《詩篇五十五・22》」と書かれている通りです。私たちの人生の主人となって管理してくださるお方が神さまであるなら、神さまにすべてを委ねなければなりません。ただ口先だけで、「神さまが私の主人です。私は神さま中心ですに生きています」と言いながら、自分の問題や苦しみを自分で抱きかかえているならば、これはなんと悲劇的なことでしょうか。人生を管理し、人生の責任を取ってくださるお方が主イエスさまなら、小さいことから大きいことまですべてを委ね、主の御心のままに従う生活をしなければなりません。このような人が、神さまから恵みを頂くことができるのです。

神さまが私たちを顧みてくださることを考えると、心が平安になり、余裕ができます。人々がせっかちな心になるのは、感謝しないからです。現代は険しい時代です。毎日の生活に、安息がどんなに重要であるか分かりません。安息を得ていない人は、健康を損ね、生活が荒れすたれます。すべてのことを働かせて益としてくださる神さまの御心を思い、主にすべてを委ね、感謝するとき、私たちは安息を頂きながら、喜びをもって生きて行くことができるのです。

お祈り:人生を管理し、毎日の生活の責任を取ってくださる天の父なる神さま、感謝します。神さまを中心にして、神さまにお仕えし、完全に信頼する私と家族になれるようにしてください。私の自我を主人にして人生を導こうとする愚かさを、捨てます。神さまの栄光のために、生きて行くようにしてください。私と家族が堕落しないで、神さまの御心に従うことができますよう、聖霊さま、お導きください。主イエス・キリストの御名によってお祈りします。アーメン

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