7月12日 三位一体の神による聖めの働き

父なる神にあってきよめられ…… 《ユダの手紙 1;英訳》

キリスト・イエスにあって聖なる者とされ……《コリント人への手紙 第一 一・2》

御霊による聖別によって……《ペテロの手紙 第一 一・2》

恵みの御業がなされる時はいつでも、三位一体の神が共に働いておられる。このことに目を向けなさい。

三位一体の各位格に優劣をつけ、イエスをあたかも愛と恵みの体現者のように考え、一方、父なる神は厳しい義なるお方であり、優しさに欠けているなどと考える信仰者は、何と思慮に欠けていることだろう。同様に、父なる神の御計画と、子なる神の贖いのみを強調して、聖霊の働きを軽んずる信仰者も、間違っている。

恵みを施す時、三位一体のどの位格も、他の二つの位格と無関係に働かれるということはない。三位格はその本質において一つである。同様に、その行いにおいても一つである。また三位格は、選ばれた者に対する愛においても一つである。その愛の源は、三位格の中心にある。この愛は、まさにその中心から流れ出て、神に選ばれた者に愛の行為を行うのである。この愛の行いにおいても、三位格は不可分の関係にある。

特に、聖めの働きにおいて、このことがなされることに着目しなさい。私たちは、「聖めは聖霊の働きである」と、正確に話すことが出来る。しかし、御父と御子が、聖めの働きには関与なさらないと見てはならない。聖めは、御父の働きであり、御子の働きであり、聖霊の働きであると語るのが正確である。今も主なる神は、「さあ、人をわれわれのかたちとして、われわれの似姿に造ろう《創世記 一・2》」と言われる。また、「実に、私たちは神の作品であって、良い行いをするためにキリスト・イエスにあって造られたのです。神は、私たちが良い行いに歩むように、その良い行いをあらかじめ備えてくださいました《エペソ 二・10》」とも、主は言われるのである。

神は、教会に真の聖めをもたらそうと、堅く心を定めておられる。神が、その真の聖めに重点を置いていることを理解しなさい。三位一体の三位格は「しみや、しわや、そのようなものが何一つない……栄光の教会《エペソ 五・27》」を創り出すために、協力なさっていると記されている。そこで、信徒であるあなたも、キリストに従う者として、聖められることに重点を置かなければならない。即ち、純潔な生活を営み、敬虔で高潔なことばを語るべきである。キリストの血潮を、あなたの希望の礎として尊びなさい。そして「光の中にある、聖徒の相続分にあずかる資格をあなたがたに与えてくださった御父《コロサイ 一・12》」と聖霊の働きを、決して軽んじてはならない。

この日、私たちの内で、三位一体の神が御業を現わすことが出来るよう、生きようではないか。

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