12月2日 教会の美しさ

わが愛する者よ。あなたのすべては美しく……。《雅歌 四・7》

主は、ご自身の教会を賞賛なさっている。これは実に驚くべきことである。主が描いておられる教会の美しさは、非常に輝かしいものである。教会は、単に美しいだけではない。「すべてが美しい」のである。主は、キリストご自身の内に教会をご覧になっている。ご自身の贖罪の血をもって教会を洗いきよめ、ご自身の功績(いさおし)による義を着せた教会をご覧になるのである。キリストの内にある教会は、内面も外面も美しいと主は考えておられる。このように、教会の美しさは主によるのである。主の教会に対する賞賛は、ご自身が完全に卓越した存在であることを物語っている。それゆえ、驚く程のことではない。教会が聖潔であり、栄光と完全さをまとっているが、それは愛する花嫁に主ご自身がまとわせた、主ご自身の栄光の衣なのである。

教会は、単に純潔であり、顔かたちが整っているだけではない。実際その通りに愛らしく美しいのである。教会には実際、優れた価値がある。原罪という欠陥は教会から取り去られている。それだけではない。主の功績(いさおし)による義が転嫁されたことにより、一層の美が与えられている。信仰者は、「愛する御子によって受け入れられた《エペソ 一・6》」時、完全な義が与えられている。

教会は、単に愛らしいだけではない。類い無く美しいのである。主は、教会を「女の中で最も美しいひとよ《雅歌 一・8》」とお呼びになっている。教会には、この世のすべての貴族、王侯も匹敵することの出来ないほどの価値と美しさがある。イエスがご自分の選ばれた花嫁を、この地上のすべての女王、皇后、或いは天の使いと交換することが出来たとしても、主は決してそうはなさらないであろう。主は、教会を第一の地位であり最上の地位である、「女の中で最も美しいひと」という地位に置かれたからである。教会は、月のように他の星々に抜きん出て輝く。主はご自分の教会について、このように考えることを恥とはなさらない。そればかりか、全ての人を招いて、このことを発表したいと願っておられる。

主は、「見よ」ということばをこの聖句の前に置き、彼女の美しさを表現なさっている。これは、特別に人々の注意を喚起するためである。「わが愛する者よ、見よ、あなたは美しい、見よ、あなたは美しい。《雅歌 四・1:口語訳》」主はご自身のみことばを今も宣言なさっている。いつの日にか、栄光の御座からその真理を、全宇宙に向かって宣言なさるのである。「さあ、わたしの父に祝福された人たち《マタイ二十五・34》」とのみことばは、主が選ばれた者たちの愛らしさを厳粛に証言なさっているみことばである。

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