1月13日 斧の頭は浮かび上がる

斧の頭を浮かばせた。《列王記 第二 六・6》

斧の頭は勢いよく柄から抜け、ヨルダン川に落ちた。人々は、拾い上げるのは不可能だと思った。

斧は、人から借りた物だった。斧を借りた預言者の一団の信用は地に落ち、彼らが仕えている神の御名も、汚される可能性さえあった。しかし、全ての人の予想に反して、斧の頭は川底から浮かび上がり、預言者たちの手元に動いて来た。人には出来ないことでも、神には出来るのである。

私は、主にある一人の人を知っている。その人は数年前、自分の力を遥かに超える務めに着手するよう、召し出された。その務めは、非常に困難であると思えた。そのため、その務めに挑むこと自体が、愚かな考えであるように思えた。しかし、その人はその任務に召されたので、信仰によって決然と立ち上がった。神はその信仰を「良し」とご覧になり、予期せぬ援助をお与えになった。それで、その務めは全うされたのである。今夕のみことばのように、斧の頭は浮かび上がり、彼の手元に動いて来たのである。

私が知っているもう一人の人は、主を信じる家庭に育ったが、経済的に非常に困窮していた。広大な土地を相続財産と譲り受けていることを、彼が知っていたなら、全ての支払い請求に応じることが出来たはずである。また、それ以上のことも出来たであろう。しかし、彼は突然襲って来た苦難に打ちのめされていた。助けを友人に求めたが、無駄であった。しかし遂に、信仰によって、決して期待を裏切ることのない助け主のもとに導かれた。見よ。困難は解決し、彼は安心して歩くことが出来る身となった。今夕のみことばのように、斧の頭は浮かび上がり、彼の手元に動いて来たのである。

私が知っている第三番目の人は、人々が堕落し、滅びることがないように立ち向かっていたが、その人の心は悲しむべき状態にあった。その人は、聖書から教え、戒め、警告し、救いへと招いていた。また、とりなしの祈りをささげていた。しかし、全てが無駄であった。若かりしメランヒトンにとって、彼の内にある古きアダムの性質が余りにも強力であった。若者メランヒトンの頑なな魂は、和らぐことはなかった。彼は苦しみもだえながら祈った。やがて天から祝福の答えが与えられた。彼の頑なな心は砕かれ、霊的に引き上げられたのである。今夕のみことばのように、斧の頭は浮かび上がり、彼の手元に動いて来たのである。

愛する読者のみなさん。今夜、あなたが抱えている絶望的な問題は何だろうか。今夕、決して動くことがないと思っている、深刻で重たい問題は何だろうか。それをここに持って来なさい。預言者たちを助けた神は、今も尚生きておられ、ご自分の聖徒たちを助けてくださる。主なる神は、善いお方である。主が与えてくださる良いものにあなたが欠けているなら、主はあなたがそのような状態のままでいることを、容認することのないお方である。

万軍の主を信じなさい。イエスの御名によって請い求めつつ、恵みの御座に近づきなさい。そうすれば、斧の頭は浮かびあがり、あなたの手元に動いて来る。あなたもまた、神の指がご自身の民のために奇跡を成されるのを見ることになる。

信仰により、そのことがあなたの身に起こりますように。今でも、神は斧の頭は浮かび上がらせ、あなたの手元に動いて来るようにすることが出来るお方である。

注:今夕のみことばの背景は、次の通りである。預言者エリシャは、預言者養成学校のようなものを運営していた。その学生の一人がエリシャに進言した。「ご覧のとおり、私たちが共に住んでいるこの場所は狭くなりましたので、ヨルダン川に行きましょう。そこから各学生がそれぞれ一本ずつ材木を切り出して、そこに、私たちの住む所を作りましょう。先生も一緒に来てください。」彼らはヨルダン川沿岸までやって来た。学生の一人が、斧を振り上げ、木を切り倒している時、斧の頭が柄から抜け、ヨルダン川に落としてしまったのである。

メランヒトン。1497~1560年、ドイツ人。マルチン・ルターと共に宗教改革を推し進めた。

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