3月7日 神を信頼する

神を信じなさい。《マルコの福音書 十一・22》

信仰によって、魂は神の戒めの道を歩み、前進することが出来る。そして、その前進する速度は、愛によって早まる。愛は原動力であり、信仰は魂を運ぶ「足」の役割を担っている。

また、信仰は「潤滑油」である。信仰によって、「神への奉仕」という「馬車」を引くことが出来る。この「馬車」には両輪が据え付けられている。自らを神のためにささげる「聖なる献身」と、「熱心な敬虔」という車輪である。信仰は、この両輪をスムーズに動かす「潤滑油」の役割を負っている。或いは別の表現になぞらえるなら、信仰がなければ「馬車の両輪」は外れてしまう。私たちは、重い馬車を引きずるほかなくなる。

信仰があれば、私はどんなことでもできる《ピリピ 四・13》。しかし信仰がなければ、私には神に仕え、何かをしようという思いも湧いて来なければ、その力も与えられることはない。最もよく神に仕える人を見つけたいと思うなら、最も信仰深い人を捜すことである。少しの信仰でも、その人を救う。しかし、それでは神の備えてくださった大きな働きを成し遂げることはできない。

バニヤンの『天路歴程』の中で、哀れな“薄信者”は破壊する者という“アポルオン”と戦うことは出来なかった。そのためには、“クリスチャン”が来なければならなかった。また“薄信者”は、絶望をもたら“巨人”を殺すことができなかった。“大勇者”の腕で、その怪物を打ち倒すよりほかなかった。“薄信者”も、確かに天国へ行けるであろう。しかし、つまらない物に幾度も心を引かれ、宝石以外のすべての所持品を失うことになる。“薄信者”は次のように言っている。「これはひどい道だ。痛い茨があるし、実に危険だ。行くのは恐ろしい。」しかし“敬虔な女性”は、次の約束を確信している。「あなたのかんぬきは鉄と青銅。あなたの力が、生きるかぎり続くように。《申命記 三十三・25》」そして彼女は、大胆に前進する。“薄信者”は失望落胆して立ち止まり、涙を流し、その涙を洪水と混ぜ合わせた。しかし“敬虔な女性”は、次のように歌っている。「あなたが水の中を過ぎるときも、わたしは、あなたとともにいる。川を渡るときも、あなたは押し流されず、火の中を歩いても、あなたは焼かれず、炎はあなたに燃えつかない。《イザヤ四十三・2》」そして直ちに、彼女は流れを渡るのである。

あなたは、快適で幸福に暮らしたいと願うのだろうか。信仰の素晴らしさを味わいたいのだろうか。暗い信仰ではなく、喜びの信仰を持ちたいのだろうか。そうならば、神を信じなさい。もしあなたが暗黒を好み、暗さと不幸の内に留まることに満足するなら、信仰の薄い者で十分である。しかし、もし光を愛し、歓喜の歌を歌いたいならば、より優れた賜物である「大きな信仰」を熱心に乞い求めなさい。

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