3月25日 裏切りの口づけ

しかし、イエスは彼に言われた。「ユダ、あなたは口づけで人の子を裏切るのか。」《ルカの福音書 二十二・48》

愛する者が傷つけるのは誠実による。憎む者は多くの口づけでもてなす。《箴言 二十七・6》」

世が親しみを込め、満面の笑みで近づいて来ても、油断禁物である。私もまた、主と同じく、口づけで裏切られかねないからである。人が信仰に対して牙をむく前には必ず、「私は信仰に対して深く敬意を払っている」と公言するものである。

私は、親切な顔をしてくる偽善者に注意しよう。彼らは、異端の教えや不信仰という、悪魔の武器を持ち運んで来るからである。不義な者は欺かれやすい。それゆえ私は、蛇のようにさとくいよう。そして、敵の策略を見破り、避けることが出来るように。

浅はかな者たちを見ていると、若者たちのうちに、良識のない一人の若い者がいるのに気づいた。本心を隠したある女が彼を迎えた。この女は彼を捕まえて口づけし、滑らかな唇で彼をいざない《箴言 七・7、10、13、21》」、若者は道を外した。主よ。今日一日、私の魂が恵みにより教えられ易いものでありますように。世の「へつらいのくちびる」に惑わされることがありませんように。聖霊なる神さま。貧しく、誘惑に陥りやすい私に、口づけで裏切られるようなことが起こらないように、守っていてください。

しかし、もし私が、あの滅びの子ユダのように憎むべき罪を犯しているとすれば、私はどんな人物なのであろうか。私は、主イエスの名につくバプテスマを受けた。私は、主イエスの地域教会の一員である。私は聖餐式にも参加している。しかし、これらの儀式に口づけするなら、私はイエスを裏切ることになる。これら一つひとつの本質に対して、誠実に向かうべきである。もしそうでないなら、私は下劣な裏切り者である。世の人々は、この世でだらしなく不遜に生きている。私も、同じように生活していないだろうか。そう生きていながら尚、私は主に従う者だと公言してはいないだろうか。そうであるなら、私は信仰を人々の嘲笑の的にする者である。また、私が呼ばれている聖なるキリストの御名を、人々が辱めるように仕向けている者である。私の言行が矛盾しているなら、私は確かに「ユダ」であり、生まれて来ない方が良かったに違いない。果たして私は、この点を旗色鮮明にすることを望んでいるだろうか。

主よ。私が旗色鮮明にし続けることが出来るよう、お守りください。私を誠実な者、真実な者としてください。あらゆる偽りの道から、私をお守りください。決して私の救い主を裏切ることがありませんように。イエスさま。私はあなたを愛しています。私はしばしば、あなたを悲しませて来ました。しかし、私の願いは、死に至るまであなたに忠実であることです。父なる神さま。私が人々の前で信仰を公言しながら、口づけによって主を裏切り、遂には火の池に投げ込まれるようなことがありませんように。

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