8月25日 血潮の道、永遠のいのちの道

その十字架の血によって平和をもたらし、御子によって、御子のために万物を和解させること、すなわち、地にあるものも天にあるものも、御子によって和解させることを良しとしてくださったからです。《コロサイ人への手紙 一・20》

古くからのことわざに、「道でなければ歩くな」というのがあります。「毎日の生活」のことが、「道」ということです。毎日の生活で間違ったことをしている人は、必ず失敗します、という意味のことわざです。

神さまから恵みを頂く「道」も同じです。恵みの道を正しく求め、その恵みの道を歩むならば、必ず神さまの祝福を頂くのです。その恵みの道が、「イエスさまの血潮の道」です。イエスさまの血潮は、私たちにとって神さまに近づくために、最も大切だからです。なぜなら、「イエスさまの血潮の道」は、赦しの道だからです。今の世の中の考えは、自分がどんなに悪くても弁護し、他人が正しくても徹底的に裁くというものです。ですから、愛はますます冷え、殺ばつとし、生きてゆくのがとても苦しい世の中になっています。このような中で、赦しの道は、イエス・キリストの血潮しかありません。私たちがこの道を歩く時、無条件で赦されます。平安が心に満ちます。

そして、「イエスさまの血潮の道」は、愛の道です。この道は「愛の高速道路」です。この道は天の御国にまでつながっていて、広く開いています。イエスさまが十字架の上で死なれた時、神殿の至聖所と聖所の間にあった厚い幕が、上から下に向かって裂けました。このことは、神さまと人間の間を閉ざしていた道が、イエスさまの十字架の血潮によって、完全に開かれたということを意味しています。

ですから世界中のすべての人、老若男女、貧富貴賎を問わず、イエス・キリストの血潮を信頼する人は、「イエスの血潮の道」を歩み続け、大きく開かれている道を通り、神さまの愛を受け入れることができますし、神の御国にまで歩き続けることができるのです。この道以外に、救いの道はありません。この道以外に、愛の道もありません。この道こそ、神さまの愛を証明する道です。イエスさまご自身が十字架で苦しまれたことによって、この愛の道を造ってくださったのです。

さらに、「イエスさまの血潮の道」は、永遠のいのちへの祝福の道です。今日、数多くの人々が罪と病と呪いと悲しみを持って生きています。しかし、この血潮の道に入った人は、永遠のいのちの祝福を受けることができます。この道に入った人には、悩みや嘆き、永遠の別れや涙、死もない場所、天の御国が用意されているのです。

ですから、「イエスさまの血潮の道」こそ、最も幸いな道です。すべての人が二つの道のうち、一つを選ばなければなりません。一つは滅びに至る道であり、もう一つは永遠のいのちに至る道です。今日、数多くの人が、肉の欲、目の欲、暮らし向きの自慢などを追い求めて、滅びの道を歩いています。イエスさまはすべての人に、その道から神さまに立ち返って、永遠のいのちの道に入るよう招いていらっしゃいます。この道だけが永遠のいのち、祝福への道だからです。

お祈り:私たちに代わって血を流してくださり、死んでくださったイエスさまの御業を賛美します。私は、イエスさまの愛を受け入れ、信仰によって生きることを求めます。いつもイエスさまの血潮を賛美しながら生きて行く私と家族となるよう、聖霊さま、助けてください。主イエス・キリストの御名によってお祈りします。アーメン

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