5月6日 神のうちにとどまる

私たちが神のうちにとどまり……。《ヨハネの手紙 第一 四・13》

あなたの魂の住む家を、あなたは望んでいるだろうか。「その家を購入するには、どうしたら良いのか」と、あなたは尋ねるだろうか。高慢な、肉なる者が、好んで買い求める家に比べれば、その家の値段は、幾らか安いどころではない。値段がついていない、ただである。つまり、お金が要らないのである。

しかし、あなたは賃貸契約を結び、それ相当の家賃を払いたいと言う。キリストを獲得するために、あなたは何かをするのが大好きである。しかしそれでは、あなたはその家を得ることは出来ない。値段がついていないからである。

あなたは、家賃の支払いが発生することのない契約を結び、私の主の家に住みたいと思わないだろうか。その契約期間は永遠にわたる。ただ、地代は、あなたが地上で生きている間、支払うことになる。その地代とは、永遠に主を愛し、永遠に主に仕えることである。あなたは、イエスと共にある人生を願い、「イエスの内に住む」ことを願わないだろうか。

ご覧なさい。この家には、あなたの望んでいる家具調度品が、全て備え付けられている。生涯をかけても使いきれないほどの富も、満ちている。あなたはこの家で、キリストとの親しい交わりに入ることが出来る。キリストの愛を大いに楽しむことが出来る。この家には、あなたを養う食べ物が豊かに蓄えられている。しかも、その食べ物は、尽きることがなく、いつも新鮮である。そして、食事を整えるテーブルが幾つもある。疲れたなら、その家であなたはイエスと共に休むことが出来る。その家からは、見ようと思えば、天の御国を見ることが出来るし、天の御国が視界に入って来る。

この家を持ちたいと思わないだろうか。もし、あなたが無宿ならば、次のように言うだろう。「その家を持ちたいが、持っても良いだろうか。」そう、良いのである。その家の鍵がここにある。その鍵は、「イエスのもとに来る」ことである。「しかし」と、あなたはことばを継いで言うだろう。「私は余りにもみすぼらしいため、その家に住むことは出来ない。」心配などいらない。衣装は、家の中に備えられている。もし、あなたが罪責感を持ち、罪ありと宣言されていると感じているならば、来なさい。その家は余りにも素晴らしく、あなたにふさわしくないように思える。しかし、キリストがあなたをその家にふさわしい人物に、少しずつ変えてくださる。主は、あなたを洗いきよめてくださる。そしてあなたは、「私たちが神のうちにとどまり……」と歌えるようになるのである。

信仰者よ。そのような住まいを持つことにより、あなたは三重の幸いを得る者となる。あなたは「強固な家」を持つ者となる。その家に住み、今まで一度も経験したこともない「安心」を、あなたは得ることが出来る。何と偉大な特権であろうか。そして、「神のうちにとどまる」ことにより、単に完全で安全な家を得ただけではなく、永遠に続く家を得たのである。夢うつつが消えるように、今のこの世は溶け去り、なくなる時が来る。その時、私たちの家は存続している。大理石で造った建物よりも長く建ち続ける。花崗岩で造った建物よりも堅固である。それは神のように、自ら存在し続けるのである。なぜだろうか。その家とは、神ご自身だからである。

私たちは神のうちに」とどまっているのである。

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