8月7日 真心から主を愛する

私たちは……真心からあなたを愛しています。《雅歌 一・4:新改訳第三版》

信仰者は、最も深い愛をもってイエスを愛する。その愛は、地上のいかなる人を愛する愛に勝るものである。

信仰者にとって、キリストと分かれるくらいなら、父や母を失うことの方がましである。信仰者は、この世が与えてくれる慰めに執着することはない。しかし、イエスをしっかりと胸に抱きしめ、離さず、イエスと共に歩む。信仰者は、キリストのために、自ら進んで自己を否定する。しかし、どんなに強要されようとも、信仰者はイエスを否定することはない。迫害の炎によって干からびてしまうような愛は、不十分な愛である。真の信仰者の愛は、そのような不十分な愛に比べ、更に深くにまで流れている愛である。

人々は、忠実な信仰者を主から引き離そうと努めて来た。しかし、そのような試みは、どの時代でも実を結ぶことはなかった。人々は、或る忠実な信仰者には名誉の冠を与え、或る信仰者には罵声を浴びせ、怒らせ、眉をひそめさせた。しかし、最も解きほぐしにくいゴルディアスの結び目であっても、忠実な信仰者と主との絆には遠く及ばない。それ程、信仰者と主との結びつきは強い。この絆は、世の力が最後には断ち切れるような、よく見られる絆ではない。人も悪魔も、この絆の錠前を開ける鍵を見い出していない。サタンも自らの策略をもって、信仰者と主との聖く結ばれた心の結びつきを引き裂こうとしたが、ことごとく失敗に終わっている。

次のようにみことばに記されているが、何ものもこの聖句を削除することは出来ない。「真心からあなたを愛しています。」しかし、真心からの愛の激しさは、その現れよりはむしろ、その心が何を望むかによって量られる。私たちは日々、十分に愛することが出来ないことを嘆いている。私たちは自らの心が更に多くの愛を持つようになり、更に神の愛の高さ、深さ、広さ、長さを知ることが出来ることを願う。サミュエル・ラザフォードのように、私たちは嘆息して叫ぶ。「ああ、地を駆け巡り、天にも達するほどの愛を求めたい。そうである。第三の天にまで上り、幾万の世界にまで達する愛を。そのすべての愛を、麗しく、何物にも優り美しく、純粋なキリストのみに注ぎ出すことが出来たらよいのに。」

主よ、残念なことに、私たちの愛が最も高みに到達したとしても、それは僅かです。キリストがなさった御業とその結果お受けになる報いに比べれば、私たちの愛は一滴の水に過ぎないのです。しかし、私たちの心の内で抱く愛を、そのままの通りに量ってください。その愛は、極めて高いのです。私たちは信頼しています。このように私たちの主が私たちの愛を裁かれることを。

主よ、私たちの心の中のすべての愛を一つに集め、いとも麗しい主の御前にささげることが出来ますように。

注:「ゴルディアスの結び目」とは、古代ギリシヤの王、アンドロス大王にまつわる伝説であり、手に負えないような難問を誰も思いつかなかった大胆な方法で解決すること。欧米では、「難題を一刀両断に説くがごとく」として使用されている。

「サミュエル・ラザフォード(1600~1661年)」とは、スコットランドの牧師、神学者、作家であり、ウェストミンスター大教理問答書、ウェストミンスター信仰告白、ウェストミンスター小教理問答書の編纂に携わる委員に選出された。

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