4月7日 主の栄光を辱めるリスト

人の子たちよ。いつまで私の栄光を辱め、空しいものを愛し、偽りを慕い求めるのか。《詩篇 四・2》

或る優れた見識を持つ著述家が、悲痛な思いで次のようなリストを作成した。それは、霊的に盲目なイスラエルの民が、長い間待ち望んでいた彼らの王であるメシアに与えた栄誉についてのリストである。

(1)イスラエルの民は名誉の行列を作った。

ローマ兵、ユダヤ人の祭司を始め、男女の群れが加わる栄誉ある行列である。主ご自身、自ら十字架を負い、この行列の一人にお加わりになった。これは、人類が最も恐れる敵を打ち倒すために来てくださったお方に、この世が与えた勝利の凱旋の行列である。主をあざけり叫ぶ声は、主に向けられた唯一の歓声となった。残酷に主を侮る声は、主への唯一の勝利の歌となった。

(2)イスラエルの民は名誉の祝杯を主に与えた。

美酒を盛る金杯の代わりに、罪人の死の苦痛を和らげる酸いぶどう酒を、主に与えた。しかし主は、それをお飲みにはならなかった。なぜなら、死がもたらす苦痛の最後の一滴に至るまで、全てを味わうためである。その後、主が「わたしは渇く」と叫ばれた時、彼らは酸いぶどう酒:ワインビネガーを海綿に含ませて差し出すと、主はそれをお受けになった。ああ、王なる神の御子に対し、何と無情で無慈悲な、憎しみの思いを込めて冷遇したことだろうか。

(3)イスラエルの民は主に名誉の護衛兵を付けた。

彼らは主の着物を奪い、くじ引きでそれを分けることによって、主への敬意を払った。天においてあがめられるべきお方を護衛した近衛兵は、このように、残忍で粗野であり、賭け事にうつつを抜かす者たちであった。

(4)主のために用意された名誉の玉座は、血塗られた荒削りの木であった。

「これ程くつろげる休息の場所が、わが主君のためにあるだろうか」と言わんばかりに、主に背く人々は、自らが仕えるべきお方である主に、玉座を差し出した。実に十字架は、主に対するこの世の感情を十分に表している。この世はこう言っているかのようである。「神の御子であるお方よ。これが、我々が神ご自身に対して取る態度である。このようにして、われわれは王である神に、お目通りを願うであろう。」

(5)民は、主に名誉ある称号を与えた。それは「ユダヤ人の王」であった。が、単に名目上の称号であった。

こうすることで、盲目の民は主をあからさまに拒絶したのである。彼らはイエスよりも、バラバを選んだ。しかも、イエスを二人の強盗の真ん中に置き、「強盗の王」と呼んだ。盲目の民がイエスに与えたものは、本来、強盗のかしらであるバラバに与えられるべき最低の生き恥であった。主にささげるべき栄光の代わりに、人の子たちはイエスに、あらゆる恥を与えたのである。

しかし、それにもかかわらず、主は世々限りなく、栄光をお受けになるお方である。このことによって、聖徒の目にも、天使の目にも、喜びが与えられるのである。

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