10月21日 キリストの愛に捕えられよ

キリストの愛が私たちを捕らえているからです。《コリント人への手紙 第二 五・14》

あなたは、私の主からどれだけの恩恵を被っているだろうか。主は、あなたのために何をなさっただろうか。

主は、あなたの罪を赦してくださっただろうか。主は、あなたを義の衣で覆ってくださっただろうか。主は、あなたの足を岩の上に置いてくださっただろうか。主は、あなたの歩みを確かなものとしてくださっているだろうか。主は、あなたのために天の御国を備えてくださっただろうか。主は、あなたを御国に入るにふさわしい者とするため、あなたを整えてくださっているだろうか。主は、あなたの名をいのちの書に記されただろうか。主は、あなたに数え切れない程の祝福を与えてくださっただろうか。主は、あなたのために「目が見たことのないもの、耳が聞いたことのないもの…を、…備えてくださった《Ⅰコリント 二・9》」だろうか。ならば、イエスの愛に報いるため、主に何かをしなさい。

あなたのためにいのちを捨ててくださった贖い主に、心のこもっていない、口先だけのことばで、感謝のささげものをささげてはならない。携挙の時、主の御前に立ち、「私は、主のために何もなさなかった」とか、「私に注がれた主の愛を、誰にも流さなかった。ちょうど水の淀んだため池のように、何も押し流さなかった」とか、「主の民の中の貧しい人たちや、主のご用のために、何もしなかった」と告白しなければならないとしたら、あなたはどのように感じるだろうか。そのような愛を投げ捨ててしまいなさい。

人々は、行動の伴わない愛をどう思うだろうか。人々は言う。「あからさまに責めるのは、ひそかに愛するより良い。《箴言 二十七・5》」自己犠牲や寛容な行い、博愛の精神や熱心な行いに、一切駆り立てないような弱い愛を、一体誰が受け入れるだろうか。

イエスがいかにあなたを愛し、あなたにご自身をお与えになったかを考えてみなさい。あなたは、その愛の力を知っているだろうか。ならば、その愛の力をあなたの魂に吹き付ける疾風とし、あなたの中の世俗の雲を吹き払い、罪の霧を消し去るようにしようではないか。「キリストのために」。このことばを、あなたの唇を支配する炎の舌としなさい。「キリストのために」。このことばを、天よりの喜びとし、この地上にいるあなたを高める天よりの啓示としなさい。また、主の奉仕において、あなたを獅子のように大胆にし、鷲のように敏速にする天より与えられる霊としなさい。

愛は、奉仕する者の足に翼を与え、働く者の腕に力を与える。神に対する揺るがぬ節操を保ち、脇目も振らずに神を敬う決意をかため、倦むことのない熱情をもって邁進し、イエスをひたすら愛する思いを表明しようではないか。

どうか、神の磁石が、私たちを天に向かって引き寄せてくださいますように。

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