10月30日 心を尽くして主に感謝をささげよ

心を尽くして私は【主】に感謝をささげます。《詩篇 九・1》

祈りが答えられたなら、必ず賛美をささげなければならない。空高く昇った愛の太陽が地を暖める時、地からは感謝の霧が立ち上るように、である。

主はあなたに憐れみ深くあられ、あなたが懇願する声に耳を傾けてくださっただろうか。であるなら、生ける限り、あなたは主にほめ歌を歌いなさい。十分に熟れた果物が、そのいのちを育んだ肥沃な土地の上に落ちるようにしようではないか。あなたの祈りに答えてくださり、あなたの心の願いをかなえてくださったお方に、ほめ歌をささげることを拒んではならない。神の憐れみに対して固く口を閉ざすなら、忘恩の罪を負うことになる。主イエスは、10人の重い皮膚病をお癒しになった。癒し主に感謝をささげたのは、一人だけである。残りの九人は癒されると、直ちにイエスから去って行った。感謝をささげないことは、この九人と同様、卑しむべき態度である。

神を賛美することは、私たち自身のためなのである。神への賛美を忘れることは、私たちへの祝福を拒むことになる。賛美は、祈りと同様、私たちの霊的生活が成長するように促す、一つの有力な手段だからである。賛美は、私たちに霊的健康を与える運動であり、私たちの霊に力を与える活動である。信仰者のいのちの鼓動が、力強く脈打つ働きである。また主に賛美をささげることにより、信仰者が主に仕えるため、新たなことにチャレンジする勇気が与えられるのである。

受けた憐れみのゆえに神をほめたたえる時、私たちと同じ境遇にある同胞のためにもなるのである。「貧しい者はそれを聞いて喜ぶ。《詩篇 三十四・2》」「私とともに【主】をほめよ。一つになって御名をあがめよう。私が【主】を求めると、主は答え、すべての恐怖から私を救い出してくださった《詩篇 三十四・2~3》」と、私たちが告白出来るなら、同じような境遇にある者は慰めを得るであろう。私たちの「救いの歌」を聞いて、心の弱さを覚えている者は強められ、うなだれていた聖徒の信仰の火は再び燃え上がるであろう。私たちが「知恵を尽くして互いに教え、忠告し合い、詩と賛美と霊の歌により、感謝をもって心から神に向かって《コロサイ 三・16》」歌うなら、心の弱さを覚えている者や、うなだれている聖徒の疑いや恐れは、逃げ去るだろう。私たちが、主の聖なる御名をあがめるのを彼らが聞くなら、彼らもまた「主の道について歌う《詩篇 百三十八・5》」だろう。

クリスチャンの務めの中でも、最も天の御国に私たちを近づけるのは、賛美である。天使は祈ることはしないが、昼も夜も賛美をやめることはない。贖われた者は白い衣をまとい、ナツメヤシの枝を手に持ち、倦むことなく「子羊は賛美を受けるにふさわしい」と、主をたたえる新しい歌を歌い続けるのである。

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