12月14日 力から力へと進む

彼らは、力から力へと進み……。《詩篇 八十四・7》

彼らは、力から力へと進む。」このみことばには様々な訳がある。しかし、いずれの訳にも「進歩」という観念が含まれている。

私たちが今用いている翻訳で、今朝の教訓を十分に学ぶことが出来る。「彼らは、力から力へと進む……。」即ち、彼らは次第に力強くなるというのである。通常私たちが歩く時、最初は力強く歩み始め、次第に足取りが重くなり、歩みは弱々しくなって行く。私たちは、元気よく旅立ち、その足取りは軽快なリズムを刻みながら進む。しかし、やがて道は険しくなり、日差しも暑くなる。私たちは、道の傍らに腰を下ろして休む。そして再び立ち上がるが、痛む重い足を引きずりながら、旅を続ける

しかし、常に新しい恵みが注がれているクリスチャンの旅は、苦しい旅を幾年月を経た後でも、最初に出発した時と同じように、活気にあふれている。そのクリスチャンは、かつてのように意気盛んでもなく、また快活でも血気にはやってもいないかもしれない。しかし、真の力を帯びるようになり、歩みはゆっくりではあるが、遥かに着実に旅を続けるようになっている。

白髪の老練な信仰者の中には、真理を把握することがいよいよ堅実になり、それを広める熱情においても青年時代を凌ぐという人がいる。しかし残念なことに、その反対の人が多いことを認めないわけにはいかない。多くの人たちの愛が冷たくなり、不正がはびこっているのを見るからである。しかしこれは、彼ら自身が犯している罪である。次のみことばに書かれているように、今なお力ある働きをする神の約束に欠陥があるからではない。「若者も疲れて力尽き、若い男たちも、つまずき倒れる。しかし、【主】を待ち望む者は新しく力を得、鷲のように、翼を広げて上ることができる。走っても力衰えず、歩いても疲れない。《イザヤ 四十・30~31》」

不満を抱えている人々は座って、前途を思い煩い、次のように言う。「ああ、私たちは苦難から苦難へと進む。」まさに、その通りである。しかし、信仰の薄い者たちよ。それだけではない。同時に、あなたは「力から力へと進む」のである。確かに、苦難が次から次へと押し寄せて来る。その中には、神の恵みが十分に入れられているのである。成熟した人には、その人に割り当てられた負うべき重荷がある。その重荷を負う時、神は、成熟した大人の力をその人にお与えになる。

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