10月1日 最上のものを主にささげよ

恋なすびは香りを放ち、私たちの門のそばには、すべての最上の果物があります。新しいものも、古いものも。私の愛する方よ、これはあなたのために蓄えておいたものです。《雅歌 七・13》

今朝のみことばには、花嫁が自分の畑で採れた果実を、ことごとく花婿にささげるため蓄えておいた、と書かれている。

私たちの心にも、「最上の果物」がたくさんある。「新しいものも、古いのものも」ある。これらは、私たちの愛するお方、「あなたのために蓄えておいたもの」である。秋の豊かな実りの季節に、私たちの心に蓄えたものを調べてみようではないか。

新しいもの」には、次のようなものがある。新しく結んだ実である。日々実感できる新たないのち、新たな喜び、新たな感謝である。決意を新たにし、熱心に働き、これらの実を成らせたいと願っている。そのため、私たちの心に新しい祈りの花が咲き、魂は献身を新たにしている。

古いのもの」については、次のようなものがある。ここには先ず、初めの愛がある。神が初めに私たちを愛し、選んでくださった。私たちは、このお方を愛することを選んだ。イエスは、私たちのこの愛を喜びとしてくださる。ここには第二に、最初の信仰がある。純粋な信仰である。私たちは初めに何も持っていなかったが、この信仰によって全てのものを所有するようになったのである。ここには第三に、私たちの喜びがある。私たちが初めて主を知った時の喜びである。その喜びを新たにさせて頂こうではないか。またここには第四に、今まで数々の神の約束のみことばが成就した証しがある。神は真実で、忠実なお方である。病める時、いかに優しく私たちの床を敷いてくださったことだろうか。深い淵の中でも、いかに穏やかに引き上げてくださったことだろうか。燃える炉の中でも、いかに恵み深く救い出してくださっただろうか。これらが古い果実である。

更に言えば、古い果実はまだまだ沢山ある。神の恵みは、私たちの髪の毛よりも多いからである。悲しむべき古い罪について、聖霊なる神の導きにより私たちは悔い改めることが出来た。その時、十字架のもとにたどり着くまで、私たちの歩む道を涙で濡らして来た。十字架のもとで、イエスの流された血潮の功績と力を知るに至ったのである。

今朝、私たちには「新しいものも、古いのものも」、色とりどりの果実があることを見て来た。しかし、要点は次のことである。これらの「新しいものも、古いのものも」全て、イエスのために「蓄えておいたもの」ということである。イエスのために「蓄えておいた新しいもの、古いのもの」が、真に最も素晴らしく、最も喜ばれる礼拝なのである。この礼拝において、魂が慕い求める唯一の対象はイエスである。私たちは蓄えるために、あらゆる努力を惜しまない。それは、純粋に、イエスに全ての栄光をささげるためである。私たちは、多くの果実を、愛するお方のためにのみ蓄えようではないか。イエスが私たちと共にいてくださる時、愛するお方のために「蓄えておいた新しいもの、古いのもの」を、主の御前に差し出そうではないか。人の目に触れることを意図して、人々の前に差し出すことがないようにしよう。

イエスさま。私たちは自分の園の扉を開きます。あなたは、ゲツセマネの園で、血の汗を流しながら祈られました。その地には、あなたの血が注がれています。同じように、。あなたの血潮が注がれた私の心の土地に生じた良い果実を、盗もうとして入る者は一人もいません。私たちの全てはあなたのもの、ただあなただけのものです!私たちの最愛のお方、イエスさま。

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