10月5日 新たに力を得、主に仕えよ

彼(エリヤ)は起きて食べ、そして飲んだ。そしてこの食べ物に力を得て、四十日四十夜歩いて、神の山ホレブに着いた。《列王記 第一 十九・8》

恵み深い神が私たちに与えてくださる力は全て、神に仕えるためにある。決して乱用したり、自慢したりするためのものではない。

預言者エリヤは、アハブの妻イゼベルの手から逃れるため、北イスラエルから荒野へ一日の道のりを入った。エリヤは、一本のエニシダの木の下で眠った。目を覚ますと、彼の頭の脇には、焼石で焼いたパン菓子一つと、水の入った壷が置かれていた。彼は、現代人の喰い道楽のように、美味しい食べ物に飽きて、贅沢を貪る者ではなかった。それどころか、エリヤは「起きて食べ、そして飲んだ。そしてこの食べ物に力を得て、四十日四十夜歩いて、神の山ホレブに着いた」のである。

復活の主イエスが弟子たちを招き、「さあ、朝の食事をしなさい《ヨハネ 二十一・12》」とおっしゃった。食事の後、主はペテロに「わたしの羊を飼いなさい《同 二十一・17》」と言われ、更に「わたしに従いなさい《同 二十一・19》」とお命じになった。

私たちの場合も同様である。私たちが天からのパンを食べるのは、力を尽くして主なる神に仕えるためである。出エジプトのイスラエルの民は、最初の過越の祭りの時、腰の帯を引き締め、杖を手に持って、子羊を食べた。お腹を満たし、直ぐに出発するためであった。クリスチャンの中には、キリストを生活のために利用することには熱心であるが、キリストのために生きることには余り熱心ではない、という者がいる。この地上生涯は、天の御国への準備の時である。天の御国では、聖徒たちは最も良いものを食し、最善を尽くし、主にお仕えする所である。聖徒たちは、主の食卓に与り、日夜主の宮で、主にお仕えする。天の御国での食物を食べ、欠けのない奉仕を行うのである。

私たちの中には、主が私たちに恵みを与えてくださる意図について、多くを学んでいない者がいる。エジプトのミイラの棺の中に、長い間、ミイラと一緒に小麦の粒が眠っていた。同様に、私たちは「真理」という貴重な種を眠らせておいて、その種が発芽し、成長する機会を与えないということをすべきではない。私たちは「真理」という種を蒔き、それに水を注がなければならない。主はなぜ、乾いている地に雨を降らせ、快適な日光を与えてくださるのか。地に産物が育ち、人がそれを食物とするために収穫出来るよう、雨と日光がそれを助けるからではないか。

このように、主は私たちの魂を養い、新たに力を与えてくださる。それは、私たちがその新しい力を用いて、主の栄光を輝かせるためなのである。

注:「ミイラ小麦」について。1800年代、ミイラと共に発見された2000~3000年前の小麦を、今の時代畑に蒔くならば、発芽し、小麦が収穫できると人々は考えていた。しかし近年、一般的に多くの種子の最長期間はおそらく約300〜400年であり、小麦は25年以上休眠状態のままなら、発芽は不可能であるということが証明されている。何度かエジプトの墓から出土した本物の小麦が検査されたが、いずれの場合も、小麦の組織が壊れているため、発芽はまったく不可能な状態であることが判明している。しかし、ここで語られている「真理の種」は、経年劣化することはない。いつの時代でもどのような場所であっても発芽し、収穫を期待できる。イエス・キリストは昨日も、今日も、いつまでも、変わることがないからである。

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