2月23日 決して見放さず、見捨てない神

わたしは決してあなたを見放さず、あなたを見捨てない。《へブル人への手紙 十三・5》

聖書の約束はすべて、私的解釈を施して読んではならない。神が、一人の聖徒に語られたみことばは、全ての者に語られたことである。また、神が一人の聖徒のために泉を開かれたなら、全ての者がその泉から飲むためである。更には、神が穀物倉をお開きなって食物をお与えになったなら、その扉が開かれるきっかけを作った一人の飢えた者のためであることは勿論だが、全ての飢え渇いている聖徒が来て、それを食べるためでもある。

信仰者よ。アブラハムに語られたか、モーセに語られたかは問題ではない。神は、約束による相続人の一人となったあなたに、そのみことばをお与えになったのである。あなたには、至高の神と、至高の祝福が与えられている。あなたには、永遠に至るほどに広い神のいつくしみが与えられている。主はアブラハムに語られた。「さあ、目を上げて、あなたがいるその場所から北、南、東、西を見渡しなさい。わたしは、あなたが見渡しているこの地をすべて、あなたに…与えるからだ。《創世記 十三・14~15》」またモーセに語られた。「ピスガの頂に登り、神が約束なさったカナンの地の全地域を望み見よ。これは全てあなたの領土である。《申命記 三十四章》」

あなたは、全ての生ける水の川から飲んで良い。その地に乳と蜜が流れているのなら、その蜜を食べ、その乳を飲みなさい。これらは、全てあなたのものである。信仰者として大胆になりなさい。「主ご自身が『わたしは決してあなたを見放さず、あなたを見捨てない』と言われたから」である。この約束の中で、神はご自身の民に全てをお与えになっている。

わたしは決してあなたを見放さず、あなたを見捨てない。」ならば、神としてのご性質は全て、私たちに現されないはずがない。神は全能だろうか。ならば、ご自身を信頼する者のために、神は全能の力を現してくださる。神は愛だろうか。ならば、神はいつくしみをもって私たちを憐れんでくださる。神がお持ちのご性質の一つひとつがいかなるものであれ、その一つひとつが最大限に私たちの味方となるのである。神がお持ちのご性質の全てを、一言で表現するなら、次のみことばになるのである。「わたしは決してあなたを見放さず、あなたを見捨てない。」このみことばの中に含まれていないものは、何一つない。あなたはこれ以上、何を望むというのだろうか。これ以上、何を祈り求めるというのだろうか。今のこの時も、永遠の時も、これ以上、何を必要とするのだろうか。生きている時も、死ぬ時も、これ以上、何が必要なのだろうか。今のこの世でも、次に来る世でも、これ以上、何が必要なのだろうか。今この瞬間も、将来、私たちの肉体が復活する瞬間も、これ以上、何が必要なのだろうか。また天の御国においても、このみことばには神の全てのご性質が包まれている。「わたしは決してあなたを見放さず、あなたを見捨てない。

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