私はあなたとともにいる旅人・・・なのです。《詩篇 三十九・12》
主よ。このみことばの通り、私は「あなたと共に」いますが、「あなたのおられる所」には到達していません。
私をあなたから遠ざける生まれながらの性質は皆、恵みにより、一つひとつ取り去られました。そして今、あなたとの交わりを持ちつつ、「あなたと共に」、罪に満ちたこの世を、異国にいる寄留者のように旅をしています。
あなたはご自分がお造りになった世界に来られたのに、この世はあなたを知りません。人類はあなたを覚えることがなく、あなたを辱しめています。次から次へと新しい法律を定め、異教の習慣を作り出しています。こうして、あなたを知ることなく生きています。あなたの御子がご自分の民のもとに来られた時、ご自分の民はこの方を受け入れませんでした。
読者よ。あなたの故郷の、親戚が暮らす土地に、あなたの最愛の息子が訪れることを想像して欲しい。土着の民が多く暮らす地方で、一風変わった模様のある、全く新種の鳥が見つかったなら、人々は物珍しそうに眺める。あなたの最愛の息子を、親族たちがそのように眺め、扱うだろうか。決してそんなことは、ない。快く迎えてくれるに違いない。
しかし、「この方はもとから世におられ、世はこの方によって造られたのに、世はこの方を知らなかった。《ヨハネ 一・10》」そうであるなら、イエスのいのちに生き、イエスの目的のために生きている私が、この地上で、人々から無視される寄留者であっても驚くことはない。
主よ。あなたが寄留者となって歩まれたこの世で、私はこの世の市民になろうとは思いません。かつて私の魂をこの地に縛り付けていた縄目は、釘跡のある御手によって解かれました。今やこの世にあって、私も寄留者になりました。異教の神々に仕える人々の中で、私の語ることばは奇異に聞こえ、私の態度は奇妙に映り、私の行動は外国人のようです。粗暴な遊牧民がロンドンの中心街に来て、住んだとしても、私よりはくつろぐことでしょう。私は、罪人が罪にまみれて暮らすこの地で、寄留者のように過ごしています。「私はあなたとともにいる旅人」ですから、私はこの地を喜びに満たされて歩むことが出来ます。あなたは私と共に苦しみ、私と共に旅を続けてくださいます。このように素晴らしい交わりを持って旅を続けるのは、何という喜びでしょう。道々あなたがお語りになる時、私の心は内に燃えます。寄留者に過ぎない私ですが、王座に座す者よりも遥かに祝福に満たされ、大邸宅に住む者に勝る平安を私は覚えます。
「私には、変わることのない時と所が与えられている。 / 至る所に私の国はある。 / 私の心は、大なぎの海のような平安に満たされ、苦悩から解放される。 / 苦悩の波が押し寄せて来ても、そこにも神がおられるのだから。 / 安らぎを得られる地を探し求め、苦しみの地を避けたとしても、 / どこに行こうとも、魂に幸いは来ない。 / しかし、神が共にいて、導いてくださる。 / それゆえ、前進することも留まることも、共に喜ぶことが出来る。」
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