神は、罪を知らない方を私たちのために罪とされました。それは、私たちがこの方にあって神の義となるためです。《コリント人への手紙 第二 五・21》
嘆き悲しんでいるクリスチャンよ、なぜ泣いているのだろうか。あなたは、自分が堕落していることを嘆いているのだろうか。
あなたの主は、完全なお方である。キリストを「仰ぎ見て救われよ。《イザヤ 四十五・22》」そして、次のことを決して忘れてはならない。あなたは今、キリストの中にある。主の中にあるあなたは、完全な者とされている。神の御目からご覧になると、キリストの中にあるあなたは、今まで一度も罪を犯さなかった者のように、完全な者なのである。いいえ、そればかりではない。私たちの義である主は、あなたに救いの衣をまとわせてくださった。それゆえ、あなたは人々から、「あなたは義しい者だ」と認められる以上に、神ご自身から「あなたは義である」と認められている。あなたは「神の義」を頂いているのである。
生来の罪と堕落とを嘆き悲しむ者よ。次のことを決して忘れてはならない。あなたの過去、現在、未来のいかなる罪により、あなたを「罪あり」と判決を下すことは出来ないのである。あなたは罪を憎むことを学んだ。と同時に、あなたには罪がないことも学んだのである。なぜなら、あなたの全ての罪は、キリストの上に置かれたからである。あなたは、自分で立っているのではない。キリストの中にあって立っている。あなたは、自分の力によって神に受け入れられたのではない。キリストの中にあって受け入れられている。あなたは今、神に受け入れられているのである。確かに、あなたは罪深い者である。しかし、あなたがキリストの御座の前に立つ時、あなたは全ての罪と堕落から解放されるのである。
私はあなたに懇願する。「キリストにあって完全な者」であるという、この尊い神の御思いを、あなたの心の内に銘記しなさい。そうである。あなたは、「キリストにあって完全な者」である。救い主から「救いの衣、義の衣」を頂き、それをまとっている。今あなたは、救い主のように聖なる者とされているのである。「だれが、私たちを罪ありとするのですか。死んでくださった方、いや、よみがえられた方であるキリスト・イエスが、神の右の座に着き、しかも私たちのために、とりなしていてくださるのです。《ローマ八・34》」
クリスチャンよ。あなたの心を喜びで満たしなさい。あなたは、「愛する御子によって神に受け入れられている者」なのである。それなのに、何を恐れているのか。常にほほえみをたたえ、あなたの主の近くで生活しなさい。そうすれば今、そこは天の都となる。やがて時が来れば、あなたはイエスの御座の前に引き上げられるであろう。復活なさったイエスが父なる神の右に着座なさったように、あなたもイエスと共に統べ治める者となるのである。ひとえに、神が「罪を知らない方を私たちのために罪と」されたからである。「それは、私たちがこの方にあって神の義となるため」なのである。
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