12月29日 主の助け

ここまで【主】が私たちを助けてくださった。《サムエル記 第一 七・12》

ここまで(今まで)」ということばは、過去に向かい、手の指が指しているように見える。20年、或いは70年の間、幾多のことがあったにもかかわらず、「ここまで【主】が私たちを助けてくださった」のである。貧しい時も、富める時も、病気の時も、健康の時も、国内でも、国外でも、陸上でも、或いは海上でも、名誉を与えられた時も、不名誉を着せられた時も、苦難の中にあった時も、喜びの時も、試練の時も、勝利した時も、祈りの時も、誘惑に会っていた時も、「ここまで【主】が私たちを助けてくださった!

長い並木道を眺めるのは楽しい。二股、三股に分かれた太い幹がいくつも並び、葉は道路の上をアーチ状に生い茂っている。さながら緑豊かな神殿のようである。このような並木道の景色を、端から端まで眺めながら歩くのは、楽しいことである。同じように、あなたの人生の来し方を眺めてご覧なさい。それは、あたかも緑の濃い並木道のようである。頭上には、主の憐れみという緑豊かな大枝がある。あなたの喜びを支え通して来た、主の慈愛と忠実という太い幹をご覧なさい。彼方の枝には小鳥が群がり、さえずっているではないだろうか。小鳥たちは、きっと沢山いるはずである。そして皆、「ここまで」受けて来た憐みの歌を歌っている。

もう一方で、「ここまで(今まで)」ということばは、将来をも指し示している。一人の人が或る地点まで来た時、「ここまで(今まで)」と書き記したとしよう。その人は未だ目標地点には到達していないのである。尚も進むべき道のりが残っているのである。なお多くの試練もあれば喜びもあり、誘惑もあれば勝利もある。なお多くの祈りをささげ、なお多くの主からの回答もある。なお多くの労苦もあり、なお多くの力も与えられる。なお多くの勝負もあり、なお多くの勝利を収める。そして病を患い、老いて行き、健康を害し、死を迎える。

それで終わるのだろうか。いいえ、まだ先がある。イエスに似た者とされ、死の眠りから目覚める。御座に座し、立琴を手に取り、主を賛美し、白い衣をまとい、イエスの御顔を拝し、聖徒たちと交わり、神の栄光に与り、永遠に豊かにされ、無限の祝福に与るのである。

信仰者よ。勇気を出しなさい。感謝の心を持ち、確信を持ってあなたの「エベン・エゼル(感謝と賛美のことば)」を高く掲げなさい。

「ここまで、あなたを助けてくださったお方は、 / あなたの旅が終わりを告げる時まで、あなたを助けてくださる。」

感謝に満ちた目で、天の光に照らされ、あなたの全道程を眺めてご覧なさい。あなたが記した「ここまで(今まで)」ということばには、何と輝かしく、何と驚くべき展望が前途に展開されていることだろうか。

注:「エベン・エゼル」とは、「助けの石」という意味。イスラエルの最後のさばきつかさ(士師)であり、最初の預言者であったサムエルは、幾多の困難の中を通過して来た。様々な困難を振り返り、イスラエルの神がここまで助けてくださったということを深く思った。 そこでサムエルは、次のようなことをした。それは一つの石を取り、ミツパとエシェンの間に置き、それにエベン・エゼルという名をつけ、「ここまで【主】が私たちを助けてくださった」と告白した。この出来事から「エベン・エゼル」ということばは、イスラエルの神への感謝のことば、賛美のことばとなってきた。

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