8月4日 霊的な知識に秘められた力

自分の神を知る人たちは堅く立って事を行う。《ダニエル書 十一・32》

信仰者は皆、神を知る知識が、最高の知識であり、最善の知識であることを理解している。そして、この霊的な知識がクリスチャンの力の源である。

第一に、霊的な知識はクリスチャンの信仰を健全にする。キリストを信頼する者は、主から教えられ、主に導かれる者である。信仰者は常に、聖書のみことばを通して主からの語りかけを聞くのである。信仰者は次のように言われている。「聖なる方からの注ぎの油があるので、みな真理を知っています。《Ⅰヨハネ 二・20》」信仰者を全ての真理に導くのは、聖霊の特別な働きである。それは全て、信仰者の信仰を成長させ、育むためである。

第二に、霊的な知識は、信仰を強めるのと同様に、愛をも健全にする。知識は戸を開く。その戸を通して、私たちは救い主を見ることが出来る。或いは、たとえを用いて別の言い方をするなら、知識はイエスの肖像を描く。その肖像画を見て、私たちはイエスを愛する。いずれにせよ、私たちが或る程度キリストを知らないならば、愛することは出来ない。主が私たちのためになされたこと、現在してくださっていることなど、イエスの素晴らしさを殆ど知らなければ、到底主を愛することは出来ない。しかし、イエスを知れば知るほど、私たちは深くイエスを愛するようになるのである。

第三に、霊的な知識は、希望を健全にする。もし、何かが存在していることを知らなかったら、その存在に対して、どのような希望を抱き、期待することが出来ようか。希望を反射望遠鏡にたとえてみよう。私たちが「希望」という反射望遠鏡の使用法を教えられるまでは、私たちは「無知」のゆえレンズの前に立つだけで、何も見ることが出来ない。しかし、使用法を知るなら、望遠鏡の前に無為に立つことはない。輝くレンズを通し、栄光に輝く姿を見ることが出来る。こうして、喜びに溢れ、「希望」という反射望遠鏡を使用することに、期待感が膨らむようになるのである。

第四に、霊的な知識は、忍耐すべき理由を与えてくれる。キリストが私たちを憐れんでくださることを知らなければ、忍耐することが出来るだろうか。或いはまた、天の父は私たちを矯正するため、懲らしめをお与えになる。その懲らしめのゆえ、私たちには善い結果がもたらされる。このことを知らなければ、どのように忍耐することが出来るだろうか。

神のみもとでは、クリスチャンは聖なる知識によって養われ、完成へと向かわせられる。これは全て、神の恵みによるのである。ならば、私たちが恵みにおいて成長するだけでなく、私たちの主であり、救い主であるイエス・キリストの「知識」においても成長することが、どれほど重要なことであろうか。

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