1月14日 救いをもたらす大いなる者

わたしは正義をもって語り、救いをもたらす大いなる者。《イザヤ書 六十三・1》

救い」ということばを、私たちは次のように理解してる。信仰者が「お救いください」と初めに祈る聖い願いから始まり、聖化が完成される時までの、「救い」に関する大事業のすべてを意味する。このことは、「入れ物は小さくても、内容は豊富」という意味のラテン語慣用句「multum in parvo」に表現されている。「救い」には、全てのいつくしみが込められている。キリストは悔い改めた者にとって「救いをもたらす大いなる者」であるばかりでなく、信仰者を悔い改めさせることもお出来になる。キリストは信じる者を天に運ぶだけでなく、人々に新しい心を与え、彼らに生きた信仰をも与えることがお出来になる。聖潔を憎む者に聖潔を愛するようにし、主の御名を蔑む者を捕らえて御前にひざまずかせる力をもお持ちである。

いいえ、以上がこのことばの意味する全てではない。神の力は、救われる前と同様、救われた後も働いているからである。信仰者の生涯は、「大いなる者」がなされる奇跡の連続である。柴は火で燃えてもなくならない。神はご自身の民をきよめて後、彼らを聖く保つ。更に、彼らの天上における栄化:信者の霊魂をキリストの姿に完全に変えられる時まで、神に対する尊厳と愛の内に守られる。

キリストの御力は信仰者を生み出す。信仰者となった後は、自分の力で生きるようにさせるのではない。善い業を始められたお方は、それを継続されるのである。死んだ魂の内にいのちを植え付けられた主は、いのちを成長させ、罪の縄目をすべて断ち切り、魂が栄光の内に完全な者とされ、この地上から天に引き上げられる時まで、強めてくださる。

信仰者よ。ここに励ましがある。愛する者のために祈っているか。祈りを諦めてはならない。キリストは「救いをもたらす大いなる者」である。あなたには、キリストに抵抗する者を回心させる力はない。しかし、主は全能のお方である。全能者の御腕をつかみ、主が御力を現してくださるように、すがれ。自分自身のことで悩んでいるか。恐れてはならない。主の御力はあなたにとって十分ではないか。

愛する者やキリストに反抗する者たちのために祈り始めるにせよ、自らの必要のために祈り続けるにせよ、イエスは「救いをもたらす大いなる者」である。その最も良い証拠は、イエスがあなたを救ってくださったという事実にある。

イエスは、倒すのではなく、建て上げてくださるお方である。これを心の深みから知る時、主の憐れみの深さを体験するのである。

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