御使いはみな、奉仕する霊であって、救いを受け継ぐことになる人々に仕えるために遣わされているのではありませんか。《ヘブル人への手紙 一・14》
天使は人の目には見えないが、神の聖徒たちに常に随行している。私たちの足が石に打ち当たることがないよう、天使は両手で私たちを支えてくれる《詩篇 九十一・11~12》。天使は主に対して忠誠を誓い、忠実に仕えている。それゆえ、主が愛を注いでおられる子どもたちに、深い関心を寄せている。天使たちは、この地上にいる放蕩息子がイエスを信じて父のもとに帰って来るのを、大歓声を上げて喜ぶ。また信仰者が天にある父の王宮に入れられる時、大歓迎して迎え入れてくれるのである。
昔、神の子たちと呼ばれた天使たちが人の目に見える形で現れた時、人々は敬意を払った。今日、私たちには天使を見ることは許されていない。しかし、天は今もなお開かれている。神の御使いは、救いを相続した人たちを訪れ、人の子と私たちとの間を上り下りしている。今も尚、セラフィムは祭壇の上から取った燃え盛る炭火を携え、神に愛される者の唇に触れようとして飛びかっている。もし私たちの目が開かれたなら、主のしもべたちの周りを火の馬と戦車が取り囲んでいるのを見ることになるだろう。私たちは、無数の天使の一団の中にいるのである。天使は、王の王であるお方の子孫である私たちを見張り、かつ保護しているのである。スペンサーが歌った詩の一節は、作り話などではない。
「彼らセラフィムは、絶えず黄金の翼をはり / 空中を飛び巡り / 翼を持つ従者として / 悪霊共と戦う私たちを助ける」
きらきら輝く天の宮廷で仕える天使たちが、喜んで私たちに仕えている。選ばれた私たちは、何という尊厳にまで高められていることだろうか。一点の汚れもない天の霊的現実の世界に、私たちは入れられている。何と素晴らしいことだろうか。神の戦車が幾千万も待機し、私たちを救うために武装している。私たちは、何と完全に守られていることだろうか。
誰のお陰で、私たちはこれら全てのことを享受しているのだろうか。主イエス・キリストを、永遠に慕い求めようではないか。主キリストによって、私たちは支配、権威を遥かに超え、天の場所に座す者とされたのである。主の御使いたちは、主を恐れ、主を取り囲み、陣を張っている。
すべて造られたものが、主イエスさまにひざまずきますように。主の御使いであり、神の御子であるイエスさまの御前に、今朝、神の家族である私たちは忠誠を誓います!
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