7月29日 絶えず主と共にいる恵み

しかし、私は絶えずあなたとともにいました。《詩篇 七十三・23》

この詩篇記者アサフは、自らの全ての愚かさと無知を神に告白した。「しかし」、それにもかかわらず、アサフは救われ、受け入れられ、常に神のご臨在の中にある恵みを間違いなく得ていた。このことは疑いようのない真実であり、事実である。自らが失われた人であること、自らの生まれながらの性質が狡猾であり、邪悪であることを十分に自覚しながらも、なお輝かしい信仰の力により、アサフは「しかし、私は絶えずあなたとともにいました」と歌ったのである。

信仰者よ。アサフが告白し、感謝したことを、あなたも自らのものとすることを求められている。アサフと同じ精神で、「しかし、私はキリストのものであるので、絶えず神と共にいました」と言うように努力しなければならない。

これが意味することは、次のことである。キリストは絶えず私を思いにかけてくだり、常に私が最善の道を歩めるように考えていてくださるのである。絶えずキリストは、私をご覧になっている。キリストは決して眠ることも、まどろむこともなく、永遠に私が幸福になるよう見守っておられる。絶えず私は、キリストの御手の中にある。誰も私をキリストの御手から奪い取ることは出来ないのである。大祭司が、十二部族の名を掘り刻んだ胸当てをとこしえにつけていたように、キリストは、常にご自身の心に私たちの名を記念として刻み込んでおられる。

神さま。あなたは常に、私を御心に留めてくださいます。あなたの愛の心は、絶えず私を慕わしく思ってくださいます。あなたは常にご自身の摂理を働かせて、私の益を測ってくださいます。あなたは、私を指輪型印章のように手につけていてくださいます。

何という驚くべき恵みでしょうか! あなたは、キリストの内にある私をご覧になってくださいます。私自身、自らにも嫌気がさしている者です。それでも、私にキリストの衣をまとわせてくださり、キリストの血で洗われた者として、私をご覧になってくださいます。こうして、私はあなたに受け入れられ、御前に立つことを得ているのです。このように、私は絶えずあなたの恵みの中にあるのです。そうです、「絶えずあなたとともにいる」のです。

ここに、試練と苦難の中にある魂への慰めがある。心は、罪と肉との大嵐に苦しみながら、キリストの内にある静寂を見なさい。「しかし」と、このことばを心の中で唱えるのである。そうして、このみことばが与える平安を得なさい。「しかし、私は絶えずあなたとともにいました。

注:「指輪型印章」とは、王侯貴族や聖職者がシール(封緘)する際に用いた、印面を彫り付けた指輪のことである。

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