2月11日 イエスと共にいた

彼らはペテロとヨハネの大胆さを見、……二人がイエスとともにいたのだということも分かってきた。《使徒の働き 四・13》

クリスチャンは、人目を引くほど、イエス・キリストと同じ姿に変えられるべきである。四福音書は既にお読みのことと思う。そこにはキリストのいのちとご生涯が、美しく、正確に、また見事に描かれている。四福音書以上に、主のいのちと主のご生涯が、見事に描き出されている良書がある。キリストを信じ、従っている人々のことばと行いである。主の弟子の言動は、キリストの素晴らしさを書き表した書である。

「私は主イエスを信頼している。それゆえ主に従う」と告白し、或いは「主を信頼する者は、こうあるべきだ」と言うのであれば、信仰者一人ひとりの生活の中で、キリストのいのちと生涯を生き生きと描き出すべきである。そうである。それ程に、イエス・キリストと同じ姿に変えられるべきである。世の人々が或る期間、私たちと一緒に過ごし、私たちをよく観察した結果、「まあ、多少は似ているようだ」と言う程度であってはならない。私たちを一目見るなり、声を大にして次のように叫ぶ程、似るべきである。「この人はイエスと共にあり、イエスに教えられ、イエスによく似ている。聖なるナザレ人イエスの教えをまさに会得している。この人の内には、イエスと同じいのちがある。この人は日々の生活の中で、イエスのいのちと教えを体現してる。」

クリスチャンは、キリストのように大胆であるべきだ。キリストを信じ、従っていることを恥じてはならない。そのように告白した結果、あなたの評判が損なわれるようなことは決して起こらない。むしろ注意すべきは、主の御名が辱められるようなことが決してあってはならない、ということである。

イエスのようになりなさい。即ち、神にとって、非常に有益な者となることである。

そのため第一に、イエスの愛によって愛しなさい。イエスのように思いやり深く考え、イエスのように親切に語り、イエスのように憐れみに満ちた行いをしなさい。人々があなたを見て、「この人はイエスとともにいた」と言う程に、イエスに似た者となりなさい。

有益な者となるための第二は、イエスの聖潔を自らのものとしなさい。イエスは御父のために熱心であられたのだろうか。ならば、あなたも主と同じでありなさい。時を空費してはなりません。時は、あなたが考えている以上に貴重なものである。イエスは自分の魂をお捨てになったのだろうか。決してご自分の利益をお求めになることはなかったのだろうか。ならば、あなたもそのようにしなさい。イエスは敬虔であられたのだろうか。あなたも熱心に祈りなさい。イエスは、御父の御心を尊び、お従いになったのだろうか。ならば、あなたも自らをイエスにゆだねなさい。イエスは忍耐強くあられたのだろうか。ならば、あなたも忍耐を学びなさい。

そして第三に、イエスの際立った特徴は何よりも、敵を赦すことである。あなたも赦すことを学びなさい。「父よ、彼らをお赦しください。彼らは、自分が何をしているのかが分かっていないのです。《ルカ 二十三・34》」主のこの崇高なみことばを、常にあなたの耳に響かせなさい。あなたが赦されることを求めるように、人を赦しなさい。「もしあなたの敵が飢えているなら食べさせ、渇いているなら飲ませよ。なぜなら、こうしてあなたは彼の頭上に燃える炭火を積むことになるからだ。悪に負けてはいけません。むしろ、善をもって悪に打ち勝ちなさい。《ローマ 十二・20~21》」このように出来るなら、その人は神に似た者である。 あなたの目指すことは何にもまさって、神のように聖なる者でなければならないということである。周囲の人があなたについて「あの人は、イエスとともにいた」と言われるように、生きなさい。

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