しかし私は、神の家に生い茂るオリーブの木。私は、世々限りなく神の恵みに拠り頼む。《詩篇 五十二・8》
神の恵みについて、しばらく黙想しなさい。
第一に、それは深い憐れみである。神は、優しく、愛に満ちた手で触れ、心の傷ついた者をいやし、その傷の手当てをしてくださる。神の恵みは、憐れみ深いが、その恵みを下さる方法もまた、憐れみ深いのである。
第二に、それは大いなる恵みである。神のうちに小さなものは何もない。神の恵みは、ご自身が無限であられるように、無限である。計り知ることは到底できな。余りにも大きいため、最悪の極悪人の最悪の罪をも赦してくださる。やがてそのような私たちに、永遠という偉大な時の中で、偉大な恵みと偉大な特権とを与えてくださり、偉大な神の、偉大な天の御国において、偉大な喜びに与らせてくださるため、天に引き上げてくださる。
第三に、それは無条件で与えられる恵みである。真の恵みは全てそうでなければならない。条件付きの恵みとは「正義による裁き」が伴うため、恵みとは呼べないものである。無条件で与えられる恵みとは、次のことである。罪人の側には、至高の神から情状を酌量して頂ける権利はなかった。神に反逆した者が、直ちに最後の審判の席に臨んだ結果、永遠の火で焼かれるという判決が下ったとしたら、どうであろうか。その人に与えられた量刑は当然であり、十分に納得のゆく判決である。しかし、神に対して反逆したその者が、神の怒りから救われたなら、それは主権者である神の一方的な愛ゆえに出された判決である。神の怒りから救われる根拠は、罪人自身には何もなかったからである。
第四に、それは豊かな恵みである。この世では、偉大と言われるものを時々見受けることがある。が、効能や効力、力のないことが殆どである。しかし、この神の恵みは、あなたのうなだれた霊を回復する「強壮剤」である。出血している傷口に塗る「黄金の軟膏」である。骨折した部位に巻く「天来の包帯」である。疲れた足を休ませるに乗る「王の車」である。そして、震えおののく心を抱きしめる「愛の御胸」である。
第五に、それは幾重にも注がれる恵みである。バニヤンが『天路歴程』の中で記しているように、「神の庭の花はどれも、重なり合って咲いている。」あなたは、ただ一つの恵みしか与えられていないと思っているだろう。しかし、ぶどうの房のように、その恵みの全体が与えられていることを、あなたは知るようになる。
第六に、それは満ち溢れる恵みである。数え切れない程多くの人が、その恵みを受けて来た。しかし、それは枯渇するどころか、今までと同様新鮮であり、満ち溢れてており、無代価で提供されている。
最後に、それは変わることのない、信頼に足る恵みである。この恵みは、決してあなたを離れることはない。恵みがあなたの友であるなら、それは誘惑の中にあっても、あなたと共にあり、あなたを敗北から守る。あなたが苦難の中にあっても、あなたと共にあり、あなたを落胆から守る。あなたが生きている時には、あなたの顔の光となり、またあなたのいのちとなる。あなたが死の床にあっても、この世の慰めが突如として届かなくなる時、あなたの魂に喜びを与えるのである。
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