11月14日 二心の者

【主】に誓いを立てて礼拝しながら、ミルコムに誓いを立てる者どもを、 【主】に従うことをやめた者ども、【主】を尋ねず求めない者どもを断ち切る。《ゼパニヤ書 一・5~6》

【主】に誓いを立てて礼拝しながら、ミルコムに誓いを立てる者ども」は、主にも属し、この世にも属しているから、自分たちは安全だと思っていた。この人たちはヤハウェに従う者と行動を共にし、同時にミルコムにも膝をかがめていたのである。

しかし、神にとり、二心の者は忌まわしい者であり、偽善は神の魂が憎むものである。二心の者は、汚れた忌まわしい犠牲を主の神殿に携え、礼拝をささげながら、他方ではこの世と世の罪に自らの心をささげている。偽りの神に身をささげている偶像崇拝者は、二心の者が犯している罪より、一つ罪が少ないのである。内股膏薬(うちまたこうやく)は卑怯者のすることである。日常生活では二心の者は軽蔑されるが、信仰の世界においてはとことん忌み嫌われる。

今朝の聖句で宣言されている罰は恐ろしいものであるが、それは当然の報いである。なすべき正しいことを知り、それを正しいことだと認め、その正しいことを行うと告白しながら、他方において悪を愛し、その悪が心を支配するに任せている罪人に対し、どうして神の義が罰を与えないでおくことがあろうか。

わが魂よ。今朝、神にお前自身を探って頂き、お前が二心の罪を犯していないかどうかを確かめよ。お前は、イエスに従う弟子であると告白している。ならば、真に主を愛しているだろうか。お前は、心から神にお仕えしているだろうか。お前は、「天路歴程」の中に登場する「正直氏」の家族だろうか。或いは、「二心氏」の家族だろうか。

私が罪と咎の中に死んでいるなら、私を救い出すために、家柄とか家系とかは何の役にも立たない。片足を真理の地に置き、他の足を偽りの海に置けば、すさまじい音を立てて、この世の偽りという海の中に真っ逆さまに落ちる。そして完全に滅びることになる。キリストが全ての全てとなるか、或いは無かの、何れかである。神は全宇宙を満たしておられる。他の神が入る余地はない。神が私の心を治めておられるなら、他の主権者が入る余地は全くない。私は十字架にかかられたイエスのみを頼りとし、主のためにだけ生きているだろうか。私は、そうしたいと願っているだろうか。そうしたいと決意しているだろうか。そうであるなら、私を救いに導いてくださった力強い恵みの神は、ほむべきかな。しかし、そうでないなら、主よ、私の悲しむべき罪をお赦しください。そして、私の心を一つにし、私をあなたの御名を恐れる者とならせてください。

注:「ミルコム」とは「モレク」を指す。カナンの先住民であるアモン人の神、バアルの俗称。イスラエルは、アモン人のモレク崇拝の影響を受け、ヤハウェと同一視し、シンクレティズムの性質を持つようになる。(シンクレティズムとは、日本の神仏習合のように、幾つかの宗教を混ぜ合わせ、一つのものとすること。)モレクの礼拝儀式は、親が長子をいけにえとしてささげる人身犠牲であった。エルサレムのヒンノムの谷(ゲヘナ)には、このモレクの祭壇があった。

「内股膏薬」とは、股の内側にはった膏薬(貼り薬)が、動くたびに右側についたり左側についたりするところから、あっちについたり、こっちについたりして、節操のないこと。しっかりした意見がなく、その時の気持ちで動くこと。また、そのような人をあざけって言う語。

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