レフディムでの3つの体験(3)

アマレクとの戦い:神の訓練《出エジプト記 十七・8~9》12月31日メッセージ

1.2023年を回顧して

多くの事件、事故、異常気象が発生した1年でした。

日本では、ジャニーズ性加害問題が明るみに出ました。イギリスの国営放送BBC記者による報道番組が放送され、日本国内に衝撃が走りました。また、ここのところ新聞、テレビに必ず報道されている自民党の政治資金問題です。安倍元首相の派閥における政治資金問題を、検察庁が捜査に乗り出しています。

世界では異常気象と大地震が発生しています。

これらの出来事から思い浮かぶことばは、「混沌」です。益々世界は「混沌」として行く状況にあります。

長引くウクライナ戦争で、世界は完全に二極が対立する構図となっています。民主主義国家 対 テロ容認・テロ支援国家です。

そのような中で、人々は、カリスマ的な存在を求め始めています。また、エゼキエル戦争の舞台設定が更に整っている状況にあります。更には、世界統一政府の舞台が整っています。それぞれの国が自らの国家を守り、国民を守るために置かれている政府ではなく、神を排除し、一部の支配者たちが、自らの力で世界中の諸問題を解決しようとする動きです。この動きは、ですから、既存の制度や組織を破壊しようと呼びかけます。そして、新しい秩序をもたらすために働いています。この傾向は今、ヨーロッパやアメリカを席巻しています。日本もこのうねりの中に置かれています。この動きは、聖書の価値観を否定する運動です。現状を変えようとしている急進的な働きであり、何でも受け入れるという自由主義的な価値観を持っています。彼らには、聖書の価値観は古臭くて、窮屈なものです。今、私たちはそのような情勢の中で暮らしています。

このような中、ガザ紛争が10月7日に勃発し、それは長く続くようです。イスラエルという民族と国家は、不思議に世界中から嫌われる民族であり、国家です。イスラエルを中心に計画されている神の救いの計画を、この世を支配している悪魔が、何としてでも阻止しようとするからです。ですから、キリストの教会が、主イエスさまの御名によって、イスラエルの祈りを継続する必要があります。

2.アマレクの襲撃――残忍なテロ行為

きょうのメッセージに入ります。《十七~十八章》には、レフィディムでの3つの出来事が記されています。1メリバの水事件、2アマレクとの戦い、3イテロの助言です。

きょうの箇所は、第2番目のアマレクとの戦いが記されています。この戦いも、主からの訓練です。どのような訓練でしょうか。イスラエルの民は、不信仰を重ねました。エジプトから救い出してくださったヤハウェを信頼しませんでした。マラで「飲み水が苦い」とモーセに不平を言い、シンの荒野では「パンがなくなった」と言って、モーセとアロンに不平不満を言い、レフィディムでは「水がない」と言って、モーセに殺意を抱くまでになりました。主は、民の不信仰を正すため、このアマレクと戦いを許可なさいました。

アマレクとは、ヤコブの兄エサウの子孫です。彼らには、エドムの地が主から与えられていたので、彼らはエドムで遊牧生活を送っていました。と同時に、この頃は、略奪によって生計を立てていました。

アマレクがイスラエルの民を攻撃した様子は《申命記 二十五・17~18》に詳しく書かれています。「覚えていなさい。あなたがたがエジプトから出て来たとき、その道中でアマレクがあなたにしたことを。彼らは神を恐れることなく、あなたが疲れて弱っているときに、道であなたに会い、あなたのうしろの落伍者をすべて切り倒したのである。」

アマレク人も、イスラエルの出エジプトの話を聞いています。イスラエルの民を救い出したヤハウェを恐れることなく、民の最後尾にいた「落伍者をすべて切り倒した」と書かれています。これは、今で言う「テロ行為」です。

このアマレク人の行為は、神に敵対する反逆行為です。イスラエルは、アマレク人に対して何もしていません。突如、卑劣な方法で、最後部の弱っている者、疲れ切っている者を狙い撃ちして来たのです。まさしくテロ行為です。

アマレク人が攻撃の理由は、(1)エジプト人がイスラエルに渡してくれた富を略奪するためです。イスラエルの民は、自衛のために戦うことになりました。ここで敗れでもしたなら、イスラエルは国として立つことが出来なくなり、イスラエル民族は地上から居なくなることになります。

アマレク人の攻撃の理由は、(2)民族間にあるいがみ合いから来ています。つまり、ヤコブとエサウの間にあった葛藤が原因です。この時以降、エサウの子孫であるエドム人やアマレク人は、イスラエルの民と敵対するようになりました。エドム人は、南ユダ王国の滅亡(BC586年)を喜びました。イドマヤ人(エドムのギリシヤ語表記)のヘロデ大王は、幼子イエスを殺そうとしました。このように、民族的な怨念によってイスラエルを攻撃することは、神を恐れることのない行為で、実に愚かなことです。しかし、主はアブラハムに約束なさったように、イスラエルを呪う者を呪い、イスラエルを祝福する者を祝福するのです。主はイスラエルの民を守り、アマレクを裁かれます。イスラエルの民は、ヤハウェの守り、力を、またも体験的に知ることになります。

3.イスラエルの最初の戦い――神の訓練

アマレクとの戦いは、出エジプト後の最初の戦いです。イスラエルは、誕生して間もない若い国家です。国家と言っても、まだ政府もなければ、軍隊もありません。戦争経験がないのです。独立した国家でしたが、イスラエルの民には、その自覚がありませんでした。

この戦いは、若い独立国家イスラエルが生きるか滅亡するのかに関わる重大な事件でした。彼らには武器がありませんでした。軍隊の体裁はあったかもしれませんが、それは形ばかりのものでした。イスラエルの民が持っていた武器・武具は、葦の海で溺死したエジプト人兵士からの分捕り物です。

モーセはヨシュアに命じて、戦闘態勢を整えさせました。モーセは、この戦いを一望できる丘の上で、とりなし、祈ると言っています。

この戦いは、メリバの水事件に対する、神の教育的裁きです。今までの彼らの不信仰の刈り取りです。不信仰の民に対する、神からの教育的訓練です。なぜかというと、聖書の原則は、次の通りだからです。

(1)イスラエルの民に与えられた神の約束は、必ず成就する。

(2)イスラエルの民が不信仰に陥り、神の約束を信頼せず、罪を犯すなら、神の教育的裁きが下る。

(3)神は、周辺国をイスラエルの民の「敵」とし、イスラエルを裁くための「裁きの器」としてお用いになる。

(4)イスラエルの民は悔い改め、神からの平和が与えられる。

(5)イスラエルの民を攻撃した国は、必ず裁きを受ける。

この原則は、クリスチャンにも当てはまります。

4.2024年の展望

現在のガザ紛争は、このアマレクとの戦いを思い起こさせるほど、よく似ています。10月7日(土)安息日に突然、ハマスがテロを仕掛けて来ました。イスラエル軍は、このハマスのテロ対して、自分の国を守るための防衛戦を展開しています。イスラエルは、このハマスとの戦いに負けたなら、国が滅亡するかもしれないという戦いを戦っています。イスラエル軍は大したことがない、直ぐに負けるというような状況になったなら、イランやトルコ、シリアが軍隊を派遣し、総攻撃を仕掛けて来て、イスラエルという国が亡びることになります。

しかし、主の御心は、イスラエルの民がヤハウェに立ち返ることです。ヤハウェであり、救い主であるイエスさまを信じることです。教会は、そのことのために祈るよう召されています。イスラエルが信仰の民となるように、また、私たちも自らのために、また互いに、信仰の民となるよう祈る必要があります。

神は、クリスチャンも同じように訓練なさいます。私たちを愛するがゆえの矯正です。私たちクリスチャンが、神の約束を信頼するかどうかです。不信頼なら、神は矯正なさいます。神の目的は、私たちの信仰を引き上げるためです。神の約束とは、キリストの福音である「in Christ」を本当に理解し、「in Christ」にされ、よみがえりのいのちで歩むことを全面的に信頼することです。

《ヘブル人への手紙 十一・6、十二・11》「6 信仰がなければ、神に喜ばれることはできません。神に近づく者は、神がおられることと、神がご自分を求める者には報いてくださる方であることを、信じなければならないのです。」「11 すべての訓練は、そのときは喜ばしいものではなく、かえって苦しく思われるものですが、後になると、これによって鍛えられた人々に、義という平安の実を結ばせます。」

私たちクリスチャンは、キリストの福音によれば、キリストのからだの一部分になっています。キリストのからだになっています。ですから、イエスさまが責任をもって導いてくださいますし、守ってくださいますし、力を与えてくださいますし、いのちを注いでくださいます。どんな出来事が襲って来ても、主は導き、守り、助け、力を与え、いのちに溢れさせてくださいます。

《ローマ人への手紙 十四・7~8》私たちの中でだれ一人、自分のために生きている人はなく、自分のために死ぬ人もいないからです。私たちは、生きるとすれば主のために生き、死ぬとすれば主のために死にます。ですから、生きるにしても、死ぬにしても、私たちは主のものです。

これが、キリストのからだの部分に組み込まれたことの祝福です。真の大祭司であるイエスさまが、私たちのためにとりなしてくださっています。

《コリント人への手紙 第一 十・31~33》こういうわけで、あなたがたは、食べるにも飲むにも、何をするにも、すべて神の栄光を現すためにしなさい。ユダヤ人にも、ギリシア人にも、神の教会にも、つまずきを与えない者になりなさい。私も、人々が救われるために、自分の利益ではなく多くの人々の利益を求め、すべてのことですべての人を喜ばせようと努めているのです。

私たちは、信仰によって、永遠のいのち、よみがえりのいのちで生きることを選ぶように招かれています。

祈り:私たちの主イエス・キリストの父なる神さま、感謝申し上げます。キリストにより、教会により、栄光が世々にわたって、とこしえまでありますように。主よ。キリストの福音の神髄である「in Christ」を理解し、「in Christ」で聖霊さまと共に歩む体験を毎日することが出来るように、決心致します。パウロが理解していたキリストの福音を、私も同じように理解し、体験することが出来るよう、今日より決心致します。そして、この素晴らしい福音を、一人でも多くの人に分かち合い、多くの人が救いに至る悔い改めに導かれますように。信じる人を起こしてくださいますように。私たち一人ひとりを聖霊に満たし、用いてください。聖霊さま、教会から離れている兄姉の心に触れてください。主イエス・キリストの御名によってお祈りします。アーメン

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