レフディムでの3つの体験(4)

アマレクとの戦い:世々に亘り上げられている「祈りの手」《出エジプト記 十七・10~16》1月7日メッセージ

主に在って、新しい年2024年を迎えました。今年、最初に飛び込んで来たのは、能登半島での大きな地震のニュースです。そして翌日は、羽田空港内にある海上保安庁の飛行機が、石川県に支援物資を届けようと、新潟空港に向かおうとしていましたが、空港の滑走路で日本航空の飛行機と衝突し、炎上しました。

こういうことが起こると、人々は必ず言います。神さまは、どうしてこんなことを起こすのかと、神さまのせいにします。違います。聖書は言います。地球を初め、全ての造られたものが、イエスさまの再臨を待ち望みながら呻いている。なぜかと言うと、イエスさまが再臨なさる時、全ての被造物が、最初に造られた時の状態になるからです。今は日に日に、すべての被造物が壊れている状態の中にある、と聖書は言っているのです。全ての原因は、人間の罪にあります。人間の罪のせいです。

能登半島地震で被災なさっている人々の、救助・救援が速やかに行われますよう、祈りましょう。また、イスラエルとハマスとの戦いが始まって3か月が過ぎました。キリストの教会が、イスラエルのために、イエスさまに御名によって祈る必要があります。イスラエルのために祈りましょう。

1.アマレクとの戦い――国家存亡の危機を守る戦い

《出エジプト記》には3つのテーマがあります。

1.神は約束したことを実行するのだろうか、ということです。つまり、神はご自身の栄光を現すのだろうか。その約束とは、「出エジプト」の世代から400年も前のアブラハムに約束したことです。

2.メシアによる救いと解放の「型」が、《出エジプト記》には数多く例示されているということです。その型を見ると、メシアによる救いと解放が良く分かるようになっています。

3.神は、ご自身の民を新たに造られる、ということです。その民とは、主なる神を礼拝する民です。いつどのような時にも、いかなることが起こっても、主を信頼し、主を礼拝することが、真に解放された姿です。このように信仰の高みへと、主に導いて頂きましょう。

この3つのことは、私たちクリスチャンにとっても、非常に重要なポイントです。

きょうのメッセージに入ります。《十七~十八章》には、レフィディムで起こった3つの出来事が記録されています。1メリバの水事件、2アマレクとの戦い、3イテロの助言です。

きょうは、アマレクとの戦いの2回目です。このアマレクとの戦いも主からの訓練です。アマレクは、ヤハウェの御力により、イスラエルの民がエジプトを脱出して来たことを聞き、知っていました。それにもかかわらず、神を恐れることなく、イスラエルの民の後ろの弱っている者、疲れ果てている者、落後者を切り倒し、彼らの持ち物を略奪して行きました。これは、正にテロ行為です。

このアマレクとの戦いは、出エジプトした後、イスラエルの民が経験した最初の戦いです。イスラエルは、誕生して間もない若い国家です。国家と言っても、まだ政府もなければ、軍隊もありません。戦争経験がないのです。独立した国家でしたが、イスラエルの民には、その自覚がありませんでした。

この戦いは、若い独立国家イスラエルが生きるか滅亡するのかに関わる重大な事件でした。彼らには武器がありませんでした。軍隊の体裁はあったかもしれませんが、それは形ばかりのものでした。イスラエルの民が持っていた武器・武具は、葦の海で溺死したエジプト人兵士からの分捕り物です。

モーセはヨシュアに命じて、戦闘態勢を整えさせました。モーセは、この戦いを一望できる丘の上で、とりなし、祈ると言っています。

2.ヨシュアの役割

この戦いにおいて、モーセとヨシュアそれぞれに役割分担がありました。《9a節》モーセはヨシュアに言った。「男たちを選び、出て行ってアマレクと戦いなさい。」

先ず、モーセはヨシュアを指揮官:将軍に任命しました。恐らく、将来の指導者を養成する訓練になるとモーセは判断したからでしょう。次に、ヨシュアの最初の仕事は、最強の兵士たちを選び、陣容を整えることです。

戦争で最も大切な戦略は何かと言うと、屈強な兵士をより多く集め、数において敵に勝ることです。そして、敵の最も弱い所を突いて、敵陣を突破して行くことです。ヨシュアは、アマレク人の兵士に十分立ち向かうことの出来る兵士を集め、一致団結してアマレクに向かう準備を整えて行きました。

このように、人間の出来る努力は、精一杯することだと、聖書は言っています。これは至極当然のことです。何もかも、主にお任せして、或いは周りの人にお任せして、自分は何もしないという姿勢は、主のお考えとは遠くかけ離れています。

3.モーセの役割

《9b節》 「私は明日、神の杖を手に持って、丘の頂に立ちます。」

モーセの役割は、とりなしの祈りをささげることです。モーセはここで「明日」と言っています。即ち、戦いのための準備期間は1日だけです。急を要します。ヨシュアは、アマレク人の兵士に十分立ち向かうことの出来る兵士を集め、一致団結してアマレクに向かう準備を整えました。

翌日、戦場に出た兵士は、モーセが杖を手にし、祈る姿を見ることが出来ます。その光景は、ヨシュアや他の兵士にとって、イスラエルの民にとって、どんなにか大きな励ましと勇気を与えたことでしょうか。そしてここで、モーセの2人の援助者の存在を忘れてはなりません。アロンとフルです。因みに、フルはミリアムの夫だと、歴史家ヨセフスは記しています。

このように、主の戦いでは、それぞれに役割分担があります。そうして、「自然」と「超自然」の相互関係が生まれます。つまり、人間の側で出来ることは全て行うことと、神のなさることがあるということです。モーセの祈りの手が挙がっている時、イスラエルは優勢になりました。モーセの祈りの手が下がる時、つまり祈りを止めた時は、アマレクが優勢になりました。そのため、アロンとフルが両側からモーセの手を支えました。モーセは、イスラエルが勝利するため、アロンとフルの二人による援助を受け入れましたた。ここにモーセの謙遜さを伺うことが出来ます。主のお考えを最優先にし、主に従う姿です。

こうして、モーセはアロントフルの助けを頂き、日が沈むまで継続する祈りをささげることが出来ました。そして、ヨシュアの勝利に貢献しました。その結果、ヨシュアはアマレクを討ち破ることが出来たのです。

4.私たちの役割と、世々上げられている「主の祈りの御手」

まとめに入ります。2点あります。

(1)先ずは世々上げられている「主の祈りの御手」ということです。

《ローマ人への手紙 八・34、26》「34 だれが、私たちを罪ありとするのですか。死んでくださった方、いや、よみがえられた方であるキリスト・イエスが、神の右の座に着き、しかも私たちのために、とりなしていてくださるのです。」「26 同じように御霊も、弱い私たちを助けてくださいます。私たちは、何をどう祈ったらよいか分からないのですが、御霊ご自身が、ことばにならないうめきをもって、とりなしてくださるのです。」

ここに、私たちのために、世々に亘って挙げられている祈りの御手が書かれています。《34節》は、真の大祭司である主イエスさまが、「私たちのために、とりなしていてくださる」と書かれています。《26節》には、助け主である聖霊なる神が、私たちのために「ことばにならないうめきをもって、とりなしてくださる」と書かれています。なぜ、イエスさまがとりなしていてくださるのでしょうか。なぜ、聖霊さまがとりなしてくださるのでしょうか。キリストのみからだとして、私たちの救いが完成するためです。

今イエスさまは、どのような働きをなさっているのでしょうか。2つあります。それは、教会を質的、量的に、完成させることです。つまり、私たち一人ひとりをきよめる働きです。私たちがイエスさまの似姿に変えられることです。もう一つは、天のお父さまが救おうと予定しておられる全ての人を救うことです。こうして、キリストのみからだである教会を完成させることが、イエスさまと聖霊さまが今なさっている働きです。そのため、イエスさまも聖霊さまも、祈りの御手を上げ続けていてくださるのです。

私たちは、この祈りの御手を見ながら、主に期待しつつ、私たちの出来る努力を精一杯させて頂こうではありませんか。

今年の教会の目標。「In Christで、よみがえりのいのちを体験しよう」ということです。

以前にもお話したことがありますが。私の大きな失敗の証しです。2017年8月初めの或る日の、牛乳配達をしていた時の出来事です。

道路の道幅が狭く、軽自動車が二台、やっとのことですれ違うことのできる状況です。或る家に、車で向かいました。次の家は直ぐそこ、という所まで来ると、農協のトラックが道を塞いでいました。停まっていた場所は、乳牛を飼っている農家の前です。私は、スピードを落としながら近づきました。そしたら、農協職員のアンちゃんが私の方を向いて、「すみません。あと少しで終わりますから」とか挨拶すると思ったら、そのアンちゃん、私を見ても知らん振りなのです。私はカチンと来ました。車から降りて、「この野郎、ふざけんじゃねえよ。ここは天下の大通りだ。狭いんですが。そこをどけ」と言ってやろうと思いました。車は退きそうにありませんので、仕方なくバックし、Uターンして、少しだけ遠回りをしました。次の家まで来ると私は、「あの農協のトラックは必ずここを通るな。そうだ。少しだけ右に停めて、道路をちょっぴりだけ塞ごう。そうすれば、あのアンちゃんも、俺が味わったくやしさを思い知るだろう」そう思い、車をいつもより20cmくらい、右に停めました。そうです、私は「小さな仕返し」をしたのです。そうして、配達先の家に入ろうとしたその時です、主が語られました。「あなたは、よみがえりのいのちを体験する機会を失いましたね。」私は悔い改めました。もうこれ以上、失いたくありません。

《ヨハネの手紙 第一 五・13》神の御子の名を信じているあなたがたに、これらのことを書いたのは、永遠のいのちを持っていることを、あなたがたに分からせるためです。

私たちには既に、永遠のいのち、よみがえりのいのちが与えられています。使徒ヨハネは、よみがえりのいのちを持っていることを知って欲しいと言っています。

ここのところ、「In Christ」ということをお話しさせて頂いています。キリスト者に与えられた新しい位置、立場、身分がどのようなものなのか教えています。私たちに与えられている永遠のいのち、よみがえりのいのちとは、どのようなものなのか教えています。専門的には「位置的真理」と言います。

「In Christ」とは、私たち一人ひとりが、主イエス・キリストと完全に一つとなっていることを言います。この一体化は、絶対に失われることはありません。つまり、救いがなくなるということはないのです。永遠のいのちを失うことはないのです。

また、「In Christ」とは、神が私たちキリスト者を、どのようにご覧になっているかということです。私たちの本当の姿です。そして、これらが神の御心なのです。《コロサイ人への手紙 一・9》こういうわけで、私たちもそのことを聞いた日から、絶えずあなたがたのために祈り求めています。どうか、あなたがたが、あらゆる霊的な知恵と理解力によって、神のみこころについての知識に満たされますように。

パウロが私たちに祈るように勧めていることは、神のみこころについての知識に満たされることです。

《ローマ人への手紙 十二・2》この世と調子を合わせてはいけません。むしろ、心を新たにすることで、自分を変えていただきなさい。そうすれば、神のみこころは何か、すなわち、何が良いことで、神に喜ばれ、完全であるのかを見分けるようになります。

ここでパウロが言っていることは、神のみこころが分かるようになるということです。そのためには条件があります。心を新たにすることで、自分を変えて頂くことです。即ち、「In Christ」の真理を理解し、自分の本当の姿を知ることです。人は理解すると、行動が変わります。そして少しずつ実践する時、神の御心が分かるようになるのです。「In Christ」の真理は、33項目あります。今、テキストを鋭意、準備中です。

「In Christ」である自分の姿を知りましょう。また、兄姉の本当の姿を知りましょう。そして、復活のいのち、よみがえりのいのちの中で生きるよう、精一杯できることをさせて頂きましょう。私たちの実践面は未だに不十分です。今の私たちの姿は、「In Christ」の真理に、私たちの実践面が追い着いていない状態です。だから、互いに赦し合うことが必要になるのです。でも私たちは、33ある位置的真理に近づくよう、信仰の歩みを志しましょう。そうする時、私たちは霊的に成長し、御子イエスさまの似姿に変えられて行きます。

大事なことは、聖霊がこの働きを成し遂げるということです。このことを忘れてはなりません。恵みにより、信仰によるのです。肉の努力で頑張ると、律法主義のクリスチャンになる罠に陥ってしまいます。信仰により、恵みにより、聖霊が成し遂げるくださることに信頼しましょう。

今年、聖霊と共に「In Christ」の真理を知り、理解し、その真理を自分のものとさせて頂きましょう。そして、実践させて頂きましょう。

祈り:私たちの主イエス・キリストの父なる神さま、感謝申し上げます。キリストにより、教会により、栄光が世々にわたって、とこしえまでありますように。主よ、感謝致します。私たちは既に、よみがえりのいのちを持っていまし。キリストの福音の神髄である「in Christ」が、私たち一人ひとりに成就しているからです。この「in Christ」を理解し、「in Christ」で聖霊さまと共に歩む体験を毎日することが出来るように、決心致します。パウロが理解していたキリストの福音を、私も同じように理解し、体験することが出来るよう、今日より決心致します。そして、この素晴らしい福音を、一人でも多くの人に分かち合い、多くの人が救いに至る悔い改めに導かれますように。信じる人を起こしてくださいますように。私たち一人ひとりを聖霊に満たし、用いてください。聖霊さま、教会から離れている兄姉の心に触れてください。主イエス・キリストの御名によってお祈りします。アーメン

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